私たちは趣味としてゲーム制作を行っていますが、それはある意味自分を表現することだと考えています。――自分たちの頭の中から、何も描かれていないキャンバスにゲームという名の絵を描いていく――
私たちに必要なのは、作りたい、という気持ちだけです。他に必要なものはありません。
ただし、私たちの趣味を趣味たらしめるための信念とそれを裏付ける持論は厳然と存在していますし、私たちの向うべき方向も自ずと明確に示されています。
■活動における信念
- 周りと見比べることなく、昨日の自分たちを基準とする
- 自分たちの活動を趣味以上として捉えてはいけない
- 時間が無いことを焦るよりも、メンバー同士の心が伝わらないことを焦る
- メンバーそれぞれが、自分を大切にする
- 活動において、外との取引的な「お金」のやり取りを行わない
■信念を裏付ける持論
以下は、上に挙げた私たちの活動における信念を詳しく説明しているものです。これらの考えは、私たちの信念や考えにのみ及んでいることですので、一般論とはかけ離れているかもしれません。つまり、私たちは、「必ずこれが正しいのだ」と言っているわけではありません、「私たちはこれが正しいと信じる」と言っているのです。
もちろん、この考えを他者に押し付ける気も毛頭ありません。
「へえー、こんなおかしなサークルもあるんだー」程度に思ってくれれば嬉しいです。
●自分を自分で表現する
この趣味は、自分を表現すること以上に趣味です。趣味ですから、誰に指図されるわけでもなく、どのように行うことも自由です。趣味には、安全とか、利潤とか、いわゆる責任とかが課せられていませんから。もちろん、法律を破るようなことをしてはいけませんが。
だから、自分たちの趣味を他人の趣味と比べてはいけません。趣味は趣味です、競争じゃありません。趣味の中にまで生活の窮屈さを持ちこむことは、趣味を見下すことだと思います。
逆に、趣味を趣味以上として捉えてもいけません。自分たちが世の中のためにやっているんだ、などと思うようになってきたらそれは年貢の納め時でしょう。趣味は趣味です、奉仕じゃありません。自分たちがやりたくてやっているんです。何かにすがりたくなったら素直に中断します。
●互いを知ろうとすること
私たちは団体で活動を行っています。団体ですから、それぞれに考えがあって、それぞれに好みがあって、意見が一致しまくることなどありません。大体みんな違う意見を出します。また、団体は団体でも企業などとは違いますから、一括した責任者がいるわけではなく、指導者がいるわけでもなく、皆が平等にただのメンバーです。それぞれ、知っていることもやってきたことも十八年分くらいなものです。そして、皆の都合がついて集まれる日は多くありません。この活動は趣味ですから、それぞれに仕事や学業があります。
ということは、私たちには互いを理解しようとする意識が必要です。争うのではなく、話しあうこと、反発するのではなく、考えてみること。会う機会が少ないのであれば、会ったときには集中して話し合い、互いを理解し合う。そうすることで、私たちは私たちの趣味をより面白くすることが出来ると思います。
●思い通りに行かないときもきっとある
最後に、私たちはそれぞれ独立していて、相手の意識をコントロールすることは、当たり前ですが出来ません。それぞれに個別の生活もありますし、人間関係もあります。メンバー同士で全てのことを知り合うことなど出来ません。だから、趣味を変えたくなってしまうことだってあると思います。
そのとき、他のメンバーはあまり矯正的な態度をとってはなりません。矯正的に人を抑えたところで、その人の心まで変えることは出来ないからです。先ほども言いましたように、メンバーのままでいて欲しかったら、その人がどうして趣味を変えようと思っているのかを良く考えたりしなければなりません。つまり、周りの都合よりもその人の気持ちを大事にして、話し合う。その話し合いでは、皆さんから見ればもしかしたら途方も無く永い時間が費やされるかもしれません。話しあったけどメンバーが少なくなってしまうかもしれません。でも、それが趣味としての、好きなことをやる者同士の、決まりごとだと思います。
このサークルは今までの中学高校の部活動ではありません。自分たちで作った、自分たちで発展していく、集まりです。気が乗らなくなったら趣味ではありません。
そうなるまでは、目の前の壁は、皆で削っていきます。
※5について書いた「お金」に関する文章はここでは公開していません。もし「詳しく知りたい」という方が増えれば公開するかも知れません。なぜ今は公開していないかというと、読んだ人を不快にさせる文章である、とメンバーで判断したからです。
■勘違いして欲しくないこと
上のように私たちは考えていますが、だからといって、このページを覗いてくれている方々の意見を無視するというわけではありません。指図は受けないけれど、意見を参考にはする、ということです。私たちは少数ですから、あまり多くの人の視点で考えることは出来ません。なので、皆さんが私どもに意見をくれるのならば、それはとてもありがたいことなのです。
皆さんの一言は、確かな理由に基づいて発せられるものです。私たちはそれをしっかりと受け止めます。応援してくれればきっと元気は出るし、けなすのなら畜生と思って頑張ります。思ったことを言えばあなたが私たちに伝わるし、訳の分からないことを書けば読み解くように努力します。
何か意見があれば、遠慮無く言って下さい、よろしくです。