■場所
どこか
■人物
『私』と大切な人
■状況
交通事故に遭った
■本文
私の頭の中は真っ白だった。たったいま目の前で起こったことがまるで信じられない。それどころか、現実を否定している私さえ存在している。
大きな音。耳をつんざく叫び声。自然とわきあがる野次馬のざわめき。人の足音。そして、言う事を聞かない私の体。立ち上がろうとしても足に力が入らない。目の焦点も合わない。震えが止まらない。
大切な人が、目の前で、血を流しているというのに。
「大丈夫ですか!? しっかりしてください!」
赤い血。網膜に焼き付いてしまったかのように、私はそれだけを見ていた。地面の砂利にしみこんでゆく液体は、世界の終わりを示しているのではないか。どんどん終わりに近づいて、どんどん終わりに近づいて、私は何も出来ない。
いや、そうじゃない。怖いのだ。失うことが怖いのだ。ああ、周りの人が色々な事をしている。でも私にそれらは見えない。音が聞こえるだけで、彼らは私の世界には存在していないのだ。
きっと、どうしようもない悲しみだけが存在しているのだ。自分がいまどんな声をあげているかすら意識できない。顔をゆがめて、何を怖がっているのかも分からない。
いや、そうじゃない。怖くないのだ。失うことなど怖くないのだ。だって私は大切な人が血を流しているのに何もしていない。体が言う事を聞かないなんて嘘だ。私はきっと、何もしないで、彼が死んでゆくのを見ていたいのだ。そして、彼がいなくなった世界を体験してみたいのだ。
……頭が痛い。
「おい、玲子! しっかりしろ! 俺がついてる!」
何も考えたくない。分からないことだらけの状況なんて嫌だ。もう寝たい。頭が痛い。疲れた。
「救急車はまだか!? 早くしろ! 頼むから早くしてくれ!」
遠ざかる意識の中で、最後に大切な人の声を聞いたような気がした。
こうして私の人生は幕を閉じる事になった。