■場所
桜の舞う散歩道
■人物
老夫婦とか出てくるです
■状況
犬を放し飼いにしている
■本文
犬を放し飼いにしている人は、きっととても鈍感な人間なんだと思う。飼い主は悠々と歩いているけど、その間にふらふらと歩いている犬がどんなことをしているかまるで知ろうとしないのだ。桜の花びらが舞い散る散歩道でそんなことを思う。
そして、最終的に犬がしでかしたことに関してもあまり関心がない。子供の手を噛んでしまったとか、道の真ん中に粗相をしてしまったとか、どれだけのことを犬がしても、まるで子供の風船が割れた時に一瞬だけ驚くように、軽やかに困ったような顔をしてそのときだけ問題を現実に引き出し、問題から遠ざかった時にはもうその存在を忘れている。
私の少し前を歩いている犬が私の顔を見た。いったい、飼い主はどこにいるのだろうか。あたりを見回してみるがそれらしき人物は見えない。
犬は私の内心などお構いなしのように、そこかしこに点在している出店の前をうろつき始めた。あしもとにはぽつぽつと桜の花びらが落ちている。
それとも、そのような飼い主は何がしかの悟りを持っているのだろうか。犬を放し飼いにするということが犬にとって人との関係をより良くするための過程だとかいう風に考え、それを実現するためにいろいろな障害を無視したり乗り越えたりしている。それが他人に理解されないために、見えないところで苦悩している。
顔をあげると、空をとぎれとぎれにしている桜の花や枝が目に入る。それらは冬の間を耐え抜き、この春に私たちの目に捉えられて風に散る。
カラスに鳴かれて歯を見せている放し飼いの犬を視界の端でとらえると、ふと面白いことを思いついた。考えようによっては、桜の花も、さっき私が想像した犬の放し飼いをしている飼い主も、似たようなものではないか。
風が吹いて、地面に散った花びらが少し離れた位置へ動く。私は向こうから歩いてくる老夫婦を確認すると、その二人に犬がいたずらしない様に思った。