2008年3月8日


場所

道路上

状況

犬を自転車で轢いてしまった

本文

彼は横たわる一匹の犬を前にして硬直していた。

犬は大型犬の一種と見られ、彼はそれをラブラドールレトリーバーだと判断していた。

それが、横たわったまま動かない。まるで深い睡眠の中によどんでいるかのようにじっとしている。

彼はまばたきをしながら今の状況を再確認した。

そう、目の前には犬が横たわっている。大きな体の犬で、毛の色は黒く、目を閉じている。

そして彼は自分のまたがっている自転車の前面、タイヤの溝に付着した犬の毛すら眺めた。

これは現実を現しており、彼の犯したミスの唯一の証拠といっても良かった。

――打ち所が悪かったのだ――

彼は上手く働かない頭を使ってそう思った。誰にともなく、頭の中で声に出して主張した。もちろん、それを聞く人間など一人もいない。

彼は諦念によって孤立していた。何にもすがることの出来ない状況。目の前に横たわる犬が、無言で彼を責め立てていた。辺りに音はない。

ただ彼は、少し離れた場所でコートを着ている女性の小さな息遣いの気配は感じ取っていた。

そして視線。決定的瞬間を見た双眸は見開かれ、彼の動揺した顔を見つめていた。

しかし、動かない。いや、動けないと言った方が良いかもしれない。会社帰りと思しきその女性は、片手に鞄を提げたままでさっきからずっと彼を見ているのだ。

普通、犬が轢かれたとして、轢いた当事者がいるにも関わらずその行動を待つことなく他者がでしゃばることなどない。むしろそうではなく、当事者がその場から逃走した場合に追いかけたり、後から警察に証言するなどして、直接関わらない場合が多い。

今回も通常と同じ。轢いた本人がいる以上、仕事帰りの女性は未だ待機を余儀なくされている。