2008年3月15日


一言

文章というものに対するアプローチの1つかしらん

本文

むかしは一つしかありませんでした。それでじゅうぶんだったのです。

わたしたちはその一つをつかって、さまざまなものを作り出しました。あるものはリズムをつくり、あるものはおはなしを作り、さらにあるものはうたを作りました。

それはたった一つでしたが、いくら使ってもみんなの表現がなくなることはありませんでした。むしろ使えば使うほど私たち自身が様々なふくみを見つけ、一つしかないものがとても多くのいみを持つようになりました。

私たちは、せいかつの中やけんかの中、みやびな人たちのひまな時間の中や政治にかかわる人たちのことばの中に、たくさんのかんじょうや個人の考えがひそんでいることを知ったのです。

それは一つで、主に私たちの作った紙の上に書かれました。だから様々な感情や考えを表現するために色々としこうさくごがされました。どうすればこの気持ちを紙の上に書けるだろうか。この人の考えていることはどうすれば皆に分かりやすくなるのだろうか。

私たちは頭を捻り、ついに新しい一つを作り出します。記号の誕生です。

記号というのは、♪とか……とか〜とか★とかいうもののことです。他にも『』とか?とか!とかもあります。

これらは今までに私たちの使ってきた一つに割り込み、良い事をしたり悪い事をしたりしました。

本当なら、昔のままでもきちんと分かっていたのです。昔の一つが書いた文章を読んで、私たちはきちんと意味や状況が分かっていたはずなのです。

しかし、今では昔の方法で書くと、どうしても分かりにくくなります。どこが会話でどこが引用でどこが主人公の考えだろうか? 『』やクエスチョンマークのない文章では、ぱっと見ただけではどこがどれだか分かりません。