■一言
挑戦のためではなく、維持のための一文
■一言2
人と話をするのは勉強よりも素晴らしいかもしれない
■本文
私は何も知りませんでした。それが多くの人たちの間にいるうちに、いろんな事を学びました。
集団生活を営むこと、困った人を助けてあげること、ずるい事を許してはいけないこと、真面目に勉強すること、自分の非を認めること。
これらは本当にたくさんあって、今の私を形作っている大切な物々です。
でも、私は同時に、たくさんの事を知りません。
貧しさに飢えること、人が拳銃で殺されること、何も後ろ盾のない状態で生活をすること、戦争で逃げ惑うこと、目の前の人を崖から突き落とすこと。
そして、何よりも知らないのが、凡てを失うこと。凡てを失って路頭に迷い、着るものもなく食べるものもなく、雨を防ぐ屋根もなく風を防ぐ壁もなくなる。それでも生きてゆくこと。
親達は何も教えてはくれません。なぜなら、親達は小さな頃に貧しさや粗悪さを体験しているからです。だから今の快適な生活を通常だと判じ、私たちには当たり前のようにそれらを与えているのです。
子供は親のシンボルではありません。しかし、それを押し通すのもとても難しいのです。親だって人間であり、弱い面があり強い面があり、辛い過去がありおこがましい思い込みがある。今に次第に慣れて何も感じなくなり、たまには過去を引き合いに出したくなる。
あの頃は大変だった、と。
私たちの三十年後は一体どうなっているのでしょうか。さらに子供達に私たちのわがままを押し付けることになるのでしょうか。それは分かりません。
とにかく、今は私が選択をする時なのです。様々に悩みますが、それでもどれかを選択しないといけない。だからよく考えて、どうにかタイムリミットには間に合わせるように行動するしかありません。
生きることはとても簡単でありながら、一方ではとても難しい。なんという矛盾でしょうか。私には一生かかっても理解できないと思います。