----いつかこんなが。

 その予感は、いつだってしていた。

「つまんない。」
 まだ小さな足を投げ出して、ソファーにだらしなく体重を預けて子供はいとも簡単にそう口に出し、その養い主は体の中身がでそうなほどぎょっとする。表情のない子供の顔を見ると今あふれ出そうになった形にならぬものが、嫌な感触で胸に沈んでいった。おやつを―――、散歩に―――、買い物に―――、本でも―――、一緒に料理を―――……と、子供を慰める手段を思いめぐらせ、けれどそれは浮かんだ端から泡の様に消えていく。そんなものでは紛らわせないと、自分でもよく解っている。
 一人が減って、もう一ト月が経つ。いない事に慣れたといえば慣れたのかもしれない。けれど、一緒にいた時間にだって充分に慣れてしまっていた。二年半、ほぼ毎日過ごしてきたのだ。今も、視線を動かせばその彼はそこにいる気すらする。胸の高さまであるピンキッシュブラウンの軽やかな髪を揺らして、思春期特有の、どこか斜に構えた様な顔をして。
 魔力を高める為、とハロウィンの日にやってきたうさぎ。人と違うのは出身と長い耳くらいなもので、それは人よりも弱い。力もないし、賢くもない。騙して脅して捕らえて、自分のものにするのも至極簡単だった。この子供も、追いかける様にやってきたあの少年も、手に入れたと思っていた。
 だけど、予感は。
 嫌な考えに陥っていると、はたと気付いて頭を振りなかった事にする。男の影さす顔に黒髪が一房落ちた。
 いなくなったのはこの落ち込む子供の十ばかり離れた従兄、チップ。いつだって年下のこの子を騙したりからかったりいたずらを仕掛けたり、いい様におもちゃにしていたけれど面倒見が悪かった訳じゃない。確かに良き、遊び相手だった、のに。
 ―――何故。
 理由は解っている。質問でも疑問でもない問いを黒髪の彼、ヴィヴィアンは胸の中で訴えた。聞く相手はもういない。いないのは、とてもずるい事に思えた。
 毎年恒例だったベルティン……メイデイの里帰り。躍る様に家を出て行く彼らに、本当は、いつだって帰ってこない予感があった。
「……ハロウィンさん。」
 子供の名前を呼ぶと、きょとんとしたまるい瞳がヴィヴィアンを見る。結局、子供を満足させるだけの案を思い付かず、心のまま近付いて隣に体を沈める。優しさからではなく、もっと切ない気持ちでそっと子供の前髪をかき、やわらかい内巻きの髪を丁寧になでてから小さな体をふわりと抱きしめた。
 不自由しない様に、申し分がないほど沢山のものを与えてきたと自負をする。見返りを求めた訳ではなかったが、楽しいものを沢山与えて故郷を忘れてしまえという思いがなかったといえばそうではない。愛情という名のものを、愛情という名前を借りて、ともかく多くのものを。引き留める術はそれしかなかった。ふと、ヴィヴィアンはまた思考が同じところにいっていると気付き、思わずため息がもれそうになって、こらえて胸がつまる。そんな多くをもらうだけもらって帰ったとは思わない。腹立たしいのは、ささくれるのはそれじゃない。
 一言、何か言ってもいいじゃないか。
 チップは、奇妙な予感だけを残してそのまま去ってしまった。この子供はそれをどうやって受け止めて、受け入れて、そして自分だけまた戻ってきたのだろうと、経過を考えるとたまらない不安に落とされる。途惑いながら、やんわり子供は抱きしめ返してきて、それが苦しい。結局は、故郷に変わるものも、あの少年に変わるだけのものも与える事が出来ないのだ。
 情けない。狼とあろう者が……。
 もう一度、子供の体を強く抱きしめた。それはとてもやわらかい。初めて会った頃に比べて大分大きくなっているはずなのに、長い間過ごしてきたせいで今が一番馴染み昔が思い出せない。年月が離れがたくする様に、年月は、それを昔にして曖昧にしてくれるだろうか。
 きつく抱きしめられ、強く胸を圧迫されても、子供はそれを疑問にせずされるがままにしていてくれる。
 ―――優しい子。
 もう、一ト月が経つ。



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