----いつかこんなが。

 やがて太陽が沈み、月を迎える。
 この頃は夜になるにつれ、ぬめる様な空気がまとわりつく感じがするが別に気温や湿度が高い訳ではない。おもむろに電気を消し、ろうそくに火を付けて木の香を焚けば、落ち着くと同時に妙に高揚した。ぼんやりと暗い中、いつものソファーにくつろいでちらちらとなめるみたいに動く火の先を見ると、心からため息が吐ける。競争相手がいなくなって少し薄くなった食欲を見るのも切ないし、最近は子供が寝る時間が妙に安心した。それは。
 あんまりにも、莫迦莫迦しい……。
 何度頭の隅に追いやっても浮かぶ事を、もう一度追いやる。すり合わせる風に目を閉じて、怪しげな薬を吸うみたいに鼻で息をすると奥を突く香の香り。胸をくすぐる浮ついた空気に身を委ねようと体の力を抜く。メイデイやハロウィンがあの子供達が祭る季節の様に、一年で一番昼が長く夜が短い季節とその逆の日、つまり夏至ミッドサマー冬至ユールは彼らの祭りの時だ。
「お兄さん。」
 おだやかな静める声が降ってくると、その声の主は傍らに座り、ヴィヴィアンに軽くもたれかかる。お茶も持たずに来たという事は、何も濁さずに話だけをしに来たんだろう……とぼんやり思いつつ、ヴィヴィアンは弟であるジェファソにぐずぐずと眠気を訴える子供のごとく甘えて両腕を回した。息を盗むくらい顔を近付けて、髪を指に遊ばせながらジェファソの左目を隠す髪もまた伸びたなと改めて思う。と、真摯なヘイゼルの瞳が自分をひたと映していて、少し居心地が悪くなった。だらしない。弟にだって喪失感は充分にあるだろう。彼の仕事上、一緒にいた時間はヴィヴィアンの方が長かったけれど、チップは彼が面倒を見ていたのだから。
「……ん、と。今の時期、あんまり僕に近付かない方がよかったっけ?」
 隠す弟の左目は弟の物ではない。隠しているのは手に余るからで、特にこの頃は季節に当てられ落ち着かない。思いやる部分を見せつつ、それは体のいい視線からの逃げだ。
「大丈夫。別に暴走とかしないから。」
 静かに、真っ直ぐ退路を断つ。ジェファソはずい、と顔を近付けてヴィヴィアンの髪をすき始める。先ほどとは立場が逆だ。けれど真顔でそんな事をされても、と気持ちの置き場に困ってわずかに首をかしげ、ヴィヴィアンは思いを逃がそうとしてみた。
「……大おばあ様に相談してみる?」
 何を、とは言わぬ真剣なままの弟に、思わず自虐的な笑みがもれた。
「して、どうするの?あの子達はメイデイとハロウィンにしか行き来出来ないはずだよ。」
「四大祭祀じゃないけれど、ミッドサマーも力ある暦でしょう?」
 弟はどこまでも真っ直ぐで、それが悲しくなった。間違ってはいない。けれど、正しくはないとヴィヴィアンはゆるゆると首を振る。
「僕達とは暦が違う。違う時間が流れてる。住む世界が違うんだ。ハロウィンさんに力を与えて迎えに行かせるっていうの?それとも僕達が?ミッドサマーに僕達が大おばあ様をそこまで借り切っていいと思う?あの子だけでも戻ってきたのは凄く幸せな事なのに、行かせてあの子まで戻ってこなかったらどうする?」
 一続きに言って、息をついた。今度は感傷的に笑えてくる。
「ごめんね、慰めてくれてる事は解る。……ありがとう。」
「いや、僕は……。」
 言って、二の句を継げない弟が愛しい。軽く笑んで体を離し、ふと、遠くを見る風に視線を動かした。吸い込む暗い夜の空気は冷たい。
「仕方ないよ、あの子達は絶対に秘密をしゃべらないし。ハロウィンさんだって本当に頭が悪いのか、口が堅いのかよく解らない。もしかしたら秘密をしゃべる言葉を持たないのかもしれない……けど、どちらにせよあの子達がどういう所に住んでいるのかすらよく解らないんだ。」
「それって、妖精の土塚シーとか常若の国ティル・ナ・ノグとかじゃないの?」
「さあ、名前だけ知っていても意味がないし、そもそも名前はあるのかな?」
 兔には声帯がない。鼻や喉で鳴く事は出来るが、言葉がない。その性質の通りなのか彼らは言葉が少なかった。言葉は、言葉で縛って形にし、ものをものだと存在たらしめる意識の呪。初めのうちは単に物知らずなのだと思っていたのだけれど、うさぎが弱い原因はこれでないかとヴィヴィアンは思っていた。そう理由付ける一つに、思い出される彼の姿。ハロウィンに集まる精霊死霊を食べて魔力を高めると知ってからも、知る以前も、チップはこちらに来てほとんど常に本を読んでいた。それは、もう充分だったのだろうか。
―――愛したのは野生のうさぎだって事かな。」
 ヴィヴィアンは顎に手を乗せてぐったりと体を乗り出し、つぶやく。ジェファソはまた大きなため息を吐いた兄をからかうふりをして突いた。
「stingも歌ってたっけ?」
「ああ、やたら懐かしいね、Every Breath You Take。」
「そ、そっちじゃなくて。」
 Every Breath You Takeはいわゆるストーカーソングだ。一挙一動を見つめていると宣言し、相手を失った事にごねる歌。自虐的だなと苦い笑みを浮かべる弟に、兄はいたずらっぽい瞳で笑う。ジェファソが言っているのはIf You Love Somebody Set Them Freeの事だろう。ふっと笑うと、ヴィヴィアンは軽く口ずさんだ。愛しているなら、愛しているなら、愛しているなら、誰かを愛しているなら自由を与えよ。
 それは、自分のものではない相手。
「だけどねえ、無理だよねえ。」
 何故だか、くふんと鼻を鳴らした兄にジェファソは顔をのぞき込む。
「仕方ないんじゃなかったの?」
「だってほら、僕は狼だし。」
 形だけ、ヴィヴィアンはしっかり笑んだ。そして次にジェファソを素速く絡め取って引き倒し、抱きしめる。安堵か、切なさか、苦しみか、色々入り交じったため息がこぼれた。
 どうして狼は貪欲さと、飢えの象徴なんだろう。



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