----ばらいろすみれいろ

「ジェファソは鈍いから、どん引きするほど押すくらいじゃないと解ってくれないよ。」
 口だけにやけるみたいな表情をして、ヴィヴィアンは下がってきた袖を上げ直す。
「私、押し倒してなし崩しっていうのは好きじゃないんだけど……、そういうのが愛情だと勘違いしてるならヴィヴィアンのせいじゃないの?」
「かもね。」
 隣でじゃがいもをむくホルダに今度はちゃんと笑って、ヴィヴィアンは否定しない。むしろ自信を持ってといった態度に、ホルダは自然とじと目になってそれから肩をすくめた。
「ジェファソって、好きな食べ物何?」
「ん?あの子は魚が好きかなー。川魚。ムニエルにしてたまねぎとマッシュルームのソテーを添えてやると喜ぶよ。」
 そう、とホルダが返すと二人の視線は同時に用意した食材に落ちた。
「今日は豚だけどね。」
 軽い笑いもほぼ同時だった。その直後の奇妙な沈黙。すぐに笑いは引っ込み形だけの笑みを口元に残したまま皮むきに取りかかる。
「ホルダは豚好きだよね。」
「うん。」
「それと鴨も。」
 言いながら、ヴィヴィアンは積んだ野菜の山からにんじんを渡す。
「ええ。」
 渡されたはずなのに、ヴィヴィアンの手が離れなくてホルダは彼を見る。
「……ジェファソの事も。」
 目が合う。
「そうよ。」
「僕の事は?」
 反応を試すみたいに意識したヴィヴィアンの妙な笑いに、ホルダは逆に真顔になる。
「……ほどほどね。」
「ほどほどか。」
「からかうのは好き?」
 ようやくヴィヴィアンの手が離れ、ホルダがそう切り返すと彼はにっこりと音が付くほどほほえんだ。
「大好き。」

 夕食には結局、ジェファソは戻ってこなかった。誰ともなく待つつもりではあったが、子供もいるし、待たせてはならないゲストもいる。それでは、と勧めた料理はすでに少し冷めていたがそれでも食卓はなごやかに、朝の静けさより賑やかしく進んでいく。けれど、ホルダにとっては気まずくても話す言葉がなくても、一人分の体温がない事の方がずっと静かに感じた。何処にいても、何をしていても、足りない。
 ジェファソの、莫迦。
 悪態というより、ずっと拗ねた気持ちで思う。いつの間にか夕食は終っていて、冷め切った料理の前でホルダは待っていた。組んだ腕の上に頭を乗せ、机に突っ伏したポーズで。いつもならここでジェファソを待つのはヴィヴィアンの役なのだろうが、ホルダが待つと言った時、ヴィヴィアンは特別何も言わずにその役を譲ってくれた。ぼんやりそんなやりとりを思い出しつつ、彼の入れてくれたお茶から立ち上る湯気を見ていた。
 待っているだけなのは、辛い。
 空っぽの思考はただやわやわと形のない湯気をなぞる。ため息を吐けば大きかったのか湯気が形を歪ませて散った。正直、ホルダには周りに言われる昔話の記憶はあまりない。よく置き去りにされただとか、髪を切られただとか、根に持つ父の話と自分が物心付いた頃の彼らの態度から、話に聞く頃のものも覚えがあると感じているだけだと思う。実際、そんな記憶を話で合わせようとすると食い違いが多かった。自分には自覚がないが記憶の前後もちぐはぐで、大切な思い出はあやふやなもので繋がっている。
 下唇を突き出し、ホルダは自分の前髪に息を吹きかけた。
 髪、伸ばした方がいいのかしら……。
 真っ黒の縮れた髪は母の家系で、ホルダのコンプレックスだ。吊り上がった細い目も、白くはない肌も母の家系、弓なりに突き出した鼻と角張った顎、骨太で大柄な体型は父の家系。似たくないところばかり受け継いだ。義務教育を自宅で受けたのは父の方針も大きかったが、そもそもホルダが周りの子供達となじめなかったせいもある。気持ちが身内であるジェファソの向くのもそういうところからかもしれない。ホルダは、おそらく近所の子供に髪を引っ張られ容姿をからかわれていた時、ジェファソが助けてくれたのをよく覚えている。それは、約束をした後だったか前だったか。見た事もない怒った姿に、単に相手をするのが嫌なだけで、自分自身は嫌われていないと確信を抱いて。だけど、ジェファソはその事を覚えていない。
「莫迦。」
 同じ時を過ごしてきても、お互いの記憶は上手く重ならない。あの確信も不確かなものだとは思いたくない、のに。
 玄関のドアが開く音がして、弾けたみたいにホルダは身を起こす。けれど居住まいを正していればまるで帰宅が遅いのを問い詰める妻みたいだと、ホルダはすぐに体を伏せる。だけど、この体勢だといかにも待ってましたと言わんばかりで、拗ねて気を引いているみたいだと思う。まとわりついて、袖にされるのはもうごめんだ。迷いながら腕立てをするみたいに動いて、結局ホルダは半端な姿で出迎えた。
「……ただいま。」
「……お帰りなさい。」
 二人のこの妙な間と変な居心地の悪さの質は違うものだろう。上手く重ならないのは記憶だけじゃない。
「ご飯、あっためるから。」
「ああ、うん、お願い。」
 緊張しているのだろうとすぐ解るジェファソの態度に、ホルダは肩を落とす風に力を抜く。何度も出かけたもういい、という言葉がまた疼くが、自分から言ってやるのも癪だ。あたためている間にささくれ立つ心を必死でならし、怒っていないとアピールする様にホルダは出来るだけ丁寧に皿を並べる。ほかりと匂い立つ料理を前にしてジェファソはフォークを取ったが、口を付けないで覚悟を決めた目でホルダを見た。
「……何で、僕なの?」
 別に、食後でもいいだろうに、せっかくあたためたのに、この男はつくづくタイミングがずれている。思い悩んで決心が付いた時間が、何も今じゃなくたっていいだろう。
「……知らないわよ。」
「僕の方が解らない。」
 おまけに、意地悪でなく本当に疑問で言っているのだろう。どっちであろうと腹は立つが、きっと本心からである方が質が悪い。
「僕に、ヴィヴィアンの代わりは出来ないよ?」
 うかがうみたいに、ホルダにとってはとどめの言葉を指されて、彼女は反射的に自分の顔が赤くなる瞬間を感じた。
「またヴィヴィアン?!どうして彼なのよ!」
 吐き捨てるみたいに言われて、ジェファソは気圧される。ホルダのヴィヴィアンへの思いを聞いているのに、まるで自分が彼との事を問い詰められているみたいだ。確かに色々意識はしているし、いくつかは否定出来ないところもあるが。そう思うと身を正した方がいいのかと今更ながらフォークを置くか迷って先が揺れた。それをちらと見やってから、ホルダは強くジェファソの目を見る。
「……そりゃあ、狼の為の月を持ってるもの。優しかったし、小さい頃は夢中だった気もするわよ、確かに。でもヴィヴィアンはない。だってあれで私が好きだもの。」
「え……?」
 一続きに言ったホルダの言葉に今度はジェファソの顔色が一瞬で変わった。兄は、奇妙な愛情を持っている。しきりにホルダの事を勧めるのは自分が愛している者同士をくっつけて満足したいからなのか。ジェファソは、彼女の体を誉めたヴィヴィアンを思い出して無性に泣きたい気持ちになった。彼が女としてホルダが好きなのだと思うといたたまれない。
「……何?気付いてないの?」
「知らない。」
 喉が上下するとしこりを感じる。顎の付け根が異常に熱くて、歯がきちんと合わさらない。ヴィヴィアンがホルダの事を好きなら、ジェファソの立場はきっと何もなくなってしまう。
「……そーゆー、好きじゃないわよ。」
 ホルダは軽く唇を突き出して、照れを押し殺したみたいな妙な顔をする。意図はどうであれ、そういう事を気になってくれるのは悪くない。多分、きっと、ホルダ自身が望んでいるものとは違うだろうけれど。
「貴方達が私を避けてた理由、ジェファソは私の相手がしたくなかったからみたいだけど、ヴィヴィアンは貴方と肩を並べたいが為だったのよ?」
「そ、うなの?」
「今だってうさぎを育ててるじゃないの。あの人は昔から子供が好きよ?私も二人でいた時は構ってくれてたし。……そうね、だから昔は特に懐いていたかもね。貴方と約束した時はヴィヴィアンの方が好きだったかもしれないわ。あんまり覚えてないけど。」
 そう言ってから、呆れるみたいにわざとらしくホルダは息を吸って、吐いた。
「だけど、出汁にされてるのに気付いたらそうは思えないでしょう?今ヴィヴィアンが私を避けたりするのは、悪い事したって思ってるからじゃないかしら。」
 ホルダの顔は自然にむっつりと不満げに変わって、彼女の言葉が体にしみるみたいに感じてジェファソは肩の力が抜けた。ホルダがしたみたいに息を吸って、吐く。
「でも、優しいのはヴィヴィアンよ。」
 ジェファソが息を吐き切ったところで、ホルダは釘を刺す様に言った。納得がいかない。ジェファソは好かれているのが当然だとでも思っているのだろうか。何も返さないのに。
「誕生日にもらったピアス、付けてるの気付いて言ってくれたし、どうせ、私の誕生日を覚えてたのも、プレゼントしようって言ったのも、これに決めたのも全部ヴィヴィアンなんでしょう?!」
「いや、僕だけど……。」
 そう言われて息を呑む代わりに、涙が出そうになる。声に変換出来ない気持ちにかき乱されて、相談はしたけど、とジェファソが言った途中で、ホルダは逃げ出したい衝動のまま激しく音を立てて席を立った。
「まっ、……てよ!」
 ジェファソはホルダの暴れるみたいにバラ付いた腕を捕まえたが、ホルダは見ないという意志でジェファソの方を向かない。はっきりした色が似合うだろうと、プレゼントで贈ったピアスが目に付いた。右耳には薔薇を象ったシルバーにルビーと、左耳には菫を象ったシルバーにブルーサファイア。
「いつまで?」
 今度は引き止める事が出来ても、ジェファソは返事が出来ない。
「半端はやめてよ!」
 彼女の声は半分泣いていた。
「選んだって言ったけど、これの意味なんか、知らないくせに。」
「意味?……薔薇は赤色?さすがにマザーグースくらいは解るよ。」
 ジェファソが言うとつかんだホルダの腕に抵抗力がなくなる。机を挟んでいなければ引き寄せたい様な気がした。
「長い方も?」
「長い方?」
「やっぱり、知らないじゃない。」
 ホルダの声がまた硬化して、気まずい。ジェファソは自分が酷く物知らずの気がして歯がゆくてたまらなかった。これ関係で今回は失敗が多い。
「……じゃあ、教えてよ。」
「やだ。絶対にやだ。」
 否定をするとスイッチが入ったのか、ホルダは捕まれた腕を自分の方に引き寄せてジェファソから離れようとする。
「莫迦、莫迦、莫迦!」
 泣いて気を引く行為はしたくなかったのに、ホルダには涙が止められない。せめてプライドだけはしっかり持っていたいのに、ジェファソはどうして、邪魔しかしない。その気がないのなら手を放してくれればいいのに。
「……そっちに行くから、動かないで。」
 腹を立てているからなだめているのだろうか。泣いているから慰めているのだろうか。ジェファソはホルダを抱きしめて短い髪をすいた。どういう思いでなのかはどちらにも解らない。流されているだけの気もする。もしかしたら解るのかもしれないが、と思ったところで思考を止め、ジェファソは目を閉じてただ息をした。会いたかったのは本当だ。
 花の様な、匂いがする。

The rose is red, the violet's blue,
The honey's sweet, and so are you.
Thou are my love and I am thine;
I drew thee to my Valentine:
The lot was cast and then I drew,
And Fortune said it should be you.



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