----ばらいろすみれいろ

 朝の食卓は静かだ。今までが騒がしかった訳じゃないが、意識をすると気になって仕方ない。一番元気なはずのうさぎの子はウルフベオルトの一挙一動を気にしてびくびくとしている。それでもしっかり食べるのはさすがといったところか。ウルフベオルトの方はそんな子供の様子がおかしくて仕方がないのか、わざと子供が反応する様な動作をしていたりした。二人とも無言で。普段ならほほえましく見られるが、今朝は静けさが辛い。ホルダはちらりとも視線を上げず、間を持たせる為なのかいつもより細かく食材を切って食事を続けている。ヴィヴィアンも我関せずを決め込んでいて、ジェファソは居心地が悪くて仕方がない。何事かを言おうと口を開けば静寂が入ってくる気さえしてただ黙々と食事に集中するが、よく噛んだはずの食べ物が喉に突っかかる。
「……あの、今日は服とか仕事用の色々を取りに行くから、仕事終りに家に帰るよ。」
 ぴくりと、わずかにホルダの指が動いたのをジェファソは見る。タイミングは悪いが、逃げるとかそういう事じゃなくて必要な事なんだと心の中で何度も訴えた。半分は自分を納得させる為に。それにしても誰も反応しないのかと、じわりと焦りが浮かんだ頃にヴィヴィアンがゆったりと口を開いた。
「へえ?じゃあ夕飯はどうする?」
 彼の中ではすっかり家には寄るだけで、またここに戻ってくる事になっているらしい。いや、それでも構わないけれど。
「あ、……と、どっちでもいいんだけど、遅くなると思うよ?」
「いいよ、なら用意しておく。一人分増やすだけなら手間はそんなに変わらないから。」
 本当にただの親切心から…という事はないだろう。この人に限っては、と思いつつジェファソはありがとうと言うだけにとどめた。くすくすとウルフベオルトの笑う声が聞こえてそちらを見ると、うさぎの子供にスクランブルエッグを取り分けてその反応を楽しんでいた。けれど、笑ったのはその反応にだけだったのだろうか。ジェファソは茹でキャベツを突きながら、湯をかけられた野菜みたいに心がしおしおとなるのを感じる。目の端でずっと気にしていたが、ホルダは最後まで黙っていた。

 正直、こういうのを何と言っていいのか解らない。考えはまとまらないし、ため息ばかりもらしていたら同僚にまでめずらしいだとか女性関係じゃないのかだとかとからかわれ、また気分が滅入る。
 ……あんまり戻りたくないな。
 迷った末に、また逃げたくなる。自宅に帰って深呼吸すると肩の荷が下りた気がしてこのまま体も休めたくなる。と、そこでやっと違和感に気付いた。―――明かりが点いている。反射的に気配に視線をやると、逃げだそうとして失敗したのかがた、と物音を立ててその者はよろけたみたいな姿をしていた。
―――チップ!」
 怒りも反射的だった。大股に近付くと相手はすでに観念したのか身を起こしてふてぶてしく顔を背ける。その態度にも充分煽られた。
「あのスープはどういう意味?過去を忘れるとか、どういうつもりで……。」
 言ってから、あ、とジェファソは思う。チップはホルダの事とは関係がないじゃないか。ちゃんと理由を言った事はないが、左目の月の為に毎年まじないを受ける事も、その左目は元々兄の物で兄からもらった事も、そしておそらくそれを気に病んでいる事もチップは知っているはずだ。あまり信じられないが、もし、単なる好意であれば。
「何の話かと思えば……。不用心に飲んでおいて、何?大体アンタ、ボクより何年長生きしてるのさ。過去を断ち切るっていうのは忘れる事じゃなくて過去とちゃんと向き合うって意味でしょ?」
 見せ付ける風に腕を組んで顎を突き出し、態度は一層ふてぶてしさを増したが、ジェファソには怒りの勢いがすでになかった。会話はかみ合っているみたいでかみ合ってはいない。それはジェファソの勘違いで、八つ当りで、腹が立ったのはホルダとの事だったからだ。最近ずっと理性的になれないのは季節に満ちていく月をもてあましているからだけじゃない。どうして、莫迦みたいに後悔して、失敗して、八つ当りして、こんなに必死になる。
「……また病気ー?」
 いきなり怒鳴られて、けれどもうジェファソは遠くを見ている。それがチップはいたく気に入らない。事情を話されていなくとも四年近く共に住んでいれば大体は解ってくるものだ。目の前のこの人は暦に感情を持っていかれるのだと理解して、うんざりする。
「ああ、うん、……ごめん。」
 気のない言葉。理由はそれだけではない、と思いながら謝ってしまうのは楽だった。込められるはずのものが入っていないと察したのか、チップの片眉がぴくりと動く。どうして、半端な事をしてしまうのだ。
 いつも、自分はそうだ……。
 自覚をすると無性に誰かに思いを伝えたい気がした。心を縛る事をやめれば、会いたい人がいたと思う。荷物を取りに来たはずなのに、足は入ってきた扉へくるりと反転する。そして出て行く刹那、振り返ってチップを見た。斜に構えた見慣れた姿。不満げに下唇を突き出しているのを見て、ジェファソは苦笑する。
―――ごめん。」
 心を任せれば月に引きずられて魂がざわめく。揺すぶられて浮つく。昼は栄え、一日の出番を夜から奪う。夜は一度深く眠り、力を盛り返すのだ。
 もう、すぐ、夏至だ。



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