「トシオ、おれいもらってほしい。」 すっきりとした明るい顔になって、ブランドンは昨日のお礼として持ってきた物を取り出した。それはやけにキンキラキンだ。俊男は引いた。 「げ、何だこのクソ高そうなのは!」 「クニからもってきた。おまもり。……たいせつ。だから、もらってほしい。」 ブランドンはそう言ってそれを俊男の手にすべり込ませた。今度は素直に受け取ると、俊男は半分笑い、半分怒る様な表情でブランドンに話しかけた。 「……何かお前さ、昨日よりずっと日本語出来る様になってない?」 「うん。」 一人だけたまらなく幸せそうな顔をして、ブランドンが言うと、つられる様に俊男も笑った。 「また遊びに来いよ。」 「トシオもくる。サナエさんといっしょ。」 四人、店の前でブランドンを見送る。病院には老人の乗ってきたタクシーで行く事にしたのだ。老人と話す事は、まだまだ沢山あるだろう。 「バイバイ。おとうさんおかあさん、ありがとう。ボクニホンゴがんばる。もっとはなしする。」 「また絶対来いよ!」 タクシーに乗り込んだ後でもブランドンは、いつまでも後ろを見ていた。ただ血液型が同じで、少しくさい話をし合っただけで、どうしてこんなに親しく感じてしまうのだろう。 「……たった、一日だったんだがな。」 俊男はタクシーが行ってしまっても、その後をずっと見て、そうつぶやいた。 「時間は関係ないでしょうが。」 背中をばしっと叩かれて、母親にそう言われた。そう言われると、何となく彼女に対しての疑問がわいた。 「……母ちゃん、ひょっとして昨日………。」 彼女は、あのくさい会話を聞いていたんじゃないのか? 「ふふ、ちょっとね、あの子に言ってやったんだよ。うちの父ちゃんは子供と一緒で、自分の事は何にも出来ないんだよってね。赤ちゃんにおっぱいやるのに、言葉なんか大切かいってね。」 「……はは。」 勘は当った。何だかあちこち、沢山のものに支えられて人間は生きているんだな、とぼんやり思う。俊男は鼻から思い切り息を吸った。そして肺に空気がたまった所で脇をつつかれた。 「俊ちゃん、あの言葉ホントでしょうね!」 俊男は再び赤くなってむせた。げほげほやっていると、父親が早苗と俊男の肩をぽんと叩く。 「大丈夫だ、三人も証人がいる。」 父親はにったりと笑う。早苗は彼に合わせる様にいたずらっぽく笑った。 俊男の手の中には、お守りの、金の懐中時計があった。 古い時計。お守りとしてブランドンの家を見守ってきて、そしてこれからは……。 それから数日してブランドンから手紙が届く。どうやら両親と祖父とのわだかまりもやっと溶け、きちんと結婚も、何もかも認めてもらった様だ。そして一度国に帰ってから、一家でまた日本にやってくるのでこちらによるとあった。そして、幾年。彼らの間にはずっと交流があった。その発端となった事故に、この出会いに、奇異な運命を感じながら。 「お父さん!」 俊男と早苗にはさとこという一人の娘が生まれ、ブランドンも一人の女性と結婚した。 その時も、俊男と早苗はブランドンと会う為に外国に行く事になっていた。だがたまたまその時は娘のさとこは連れていかなかった。家で祖父母と留守番の彼女に、俊男はお守りと言って金の時計を渡した。お守りを持っていかなかった彼は、彼の妻と、そして友人と友人の妻と共に、事故で逝ってしまって帰ってこなかった。 何故、娘を連れていかなかったのか。そしてどうして、その娘に大切なお守りを託して行ったのか。それは誰にも解らない。体は見付からず、空っぽの棺の中には本人の好きな上下の服と、ただ思い出の品と。娘のさとこはお守りの時計をその中に入れようとして、……やめた。彼女の祖父は、全て解っている、といった風にうなずき、そして頭をなでた。 現実感が、ある様で、ない様で。訳も解らない涙を流すさとこの頭を、祖父のごつい、指の短い手はずっとなで続けていた。 金の懐中時計は、気付いた時には動かなくなっていた。 さとこの手の中には金の時計がある。お守り。物理的に護るのではなく、精神的に、ずっと守ってくれる。見てくれている。ずっとずっと、誰かを見守り続けている。けれど、それは止まっている。守り続ける事の出来なかったあの主人達を思う様に……。ふと、おじいさんの古時計の、あの歌を思い出す。 時計を握る新しい主人の手は大きくなり、女性らしくやわらかな物になっていた。時計も、かつてに比べて表面の飾り彫りが浅くなっている様な気がする。 時を、刻む物。 きっと刻まれているのは時だけではない。 「しかし…、うちはァ、商店街の皆さんに頼ってぎりぎりの生活ですが……、さとこさんの所…時計屋って、正直な話儲かるんですかぃ?」 旦那が動かぬ時計をさとこに返しながらそう言う。さとこは時計をまたポケットの中にしまった。 「そー…ですねェ。もう時計も…何もかも使い捨ての時代ですからねェ。…直すよりずっと安いって。でも、古いのを大切にする人もいて、今じゃ結構遠くから修理に来る方もいるんですよ。」 「はー…、そうですかァ。」 感心した様に旦那が言うと、さとこは得意そうにニッと笑った。 「私、あそこ継ぐつもりですから。」 「じゃあおじい様は嬉しいでしょうねェ。」 そう言って旦那はやっと葛饅頭に手を伸ばし、さとこにもそれを勧めた。 「ふふ、前は反対気味でしたけどね、本格的にやるって言ったら、もうなァんにも言いません。」 「いいですねェ、そういう人がいてくれるって。」 しみじみ、という感じで、旦那は少し寂しそうに笑う。 「……一体、どこへいってしまったんでしょうねェ、人の、物を大切にするって思いは………。」 その気持ちはさとこにもよく解った。 「そうそう、さとこさん。さっきの時計、絶対他の人に渡しちゃァいけませんよ。」 「……え、はァ……。」 その金の時計が、何故手元にあるのかという事情を全く知らないさとこは、呆けた様に返事を返した。 「直したって構わないとは思いますが、その時計は貴女しか守りませんから、それは貴女の子供に渡して、またその子供に受け継がせて……。それをずっと続けて下さい。」 何もかも知っているかの様に旦那がそう言う。だがそれが当然のごとく受け入れられた。彼は、何を知っているというのだろう。ふと、さとこの脳裏に昔会った外人のおじさんが浮かぶ。それは、一体何だったんだろう。 「……あ!もうこんな時間?」 ふと時計が目に入ったさとこは声をあげて席を立つ。旦那も時間を見てみるが、彼女が家に来てから結構な時間が経っていた。 「ヤッバァ〜お昼作らなくちゃ。うちおじいちゃん早昼なんです。」 「ああ、もうそんな時間ですか!」 さとこは帳場に散らかした絵を軽く片付けると、物々交換の絵を抱えた。 「じゃあダンナさんすみません、私もう行きますね。今日はありがとうございました。」 軽く会釈をしながらそう言って出ていく彼女に、旦那も会釈を返した。 「いーえ、こちらこそ。またお茶飲みにでも来て下さいね。」 彼女が店を出ていくと、空光が店の方にやってきて旦那の後ろに立った。 「……こういう時代になるってェ、思ってなかったんですかぃ?」 「それは、貴方の方が思ってるんじゃないんですか?空光。」 振り返り、軽く笑いながら旦那がそう言う。空光はそんな彼とは逆に、何となく真面目ぶった。 「俺は……、どうだろうねェ。人間なんて、変に信じるのは莫迦らしい。およしなせェ。むかし≠惜しむ気持ちは解りまさァ。だがァ、惜しんだ所でむかし≠ェ戻ってくる訳でもねェでしょう。」 「そりゃ懐古店、なんてやってるアタシに向かっての皮肉ですかぃ?」 むっとした様に旦那はそう言ったが、そう言い終ってから急に寂しそうにする。 「……解ってますよ。むかし≠ェ戻ってきたら、やり直したい事は沢山ありますからねェ。」 「それは、俺にだって…、誰にだってあるモンさァ。」 旦那の寂しそうな顔につられる様に、空光も何かを悔やむみたいな辛そうな表情をした。 「しぶとく、自分に出来る事を、その範囲でしたい事を、アタシゃするだけですよ。」 腕を組み、旦那がどこか力強く言うと、空光の口から一つの名前がこぼれた。 「……凪些……。」 「ふふん、何です今さら、天狗殿。」 口の端をつり上げ、莫迦にしたみたいに旦那が笑う。そしてそれからいつものおっとりした笑顔を見せた。 「じゃ、早いですけどうちもお昼の用意をしますかね。」 ふと、時計がいっせいに鐘を鳴らした。 |
最初は早苗を取り合う話にするつもりでした。 というか某青春白書っぽくしたかった。 ブランドンはその名残です。(笑) |