「二ホンのちちおや、むずかしい。」
 俊男の部屋に客用の布団をひいて寝ていたブランドンが、つぶやく様に口を開いた。
「んー?」
「トシオ、おとうさん、おかあさんをあいしてない?」
 俊男は半分眠っていたが、そのこっ恥ずかしいセリフで完全に目が覚めた。
「はァ?」
「おかあさんケライみたい。おとうさん、きらいとおもう。」
 しかしあくまでマジにブランドンはそう言う。俊男はごろりとブランドンの方に体を向けた。
「あのねー、日本は結構そうなの。普通好きじゃなかったら結婚してないだろうが。それに、愛してるとか好きとか、……そんなに軽々しく言うもんじゃないだろ。」
「なぜ?いわない、するとわからない。」
 誤魔化す事は出来たが、ブランドンの瞳が真剣だったので俊男はやめた。心の中で何かが引っかかっているのだろう。彼も半分は日本人だ。
「……こんな話、男とするのはやだけど……。言葉で思いが全部伝わるって訳じゃないだろうが。」
「二ホンはむずかしいよ。ゼンブちがう、でも、すこしわかる。」
「……あんまり言うと、嘘っぽく聞こえたりすんだよ。」
 そう言いながら俊男は、自分の意見が言い訳に聞こえてきた。
「じゃあすこしいう?」
「…………………。」
 答えにつまる。だがそれは理屈じゃない。感覚、感性なのだ。それが美徳とされてきた。言わぬが花。阿吽の呼吸。目は口ほどに物を言う。もののあはれ。
 ブランドンは答えにつまった俊男に対し、やり込めた、勝った、などとは思わなかった。彼はただ、切なくなった。彼の言えない、言葉では伝わらないという部分が一番大切な気がして、解らない事が悲しかった。
「ボク、おじいさんにあうタメきた。……でもこわい。」
 その祖父とも通じ合えないだろう。疑問は疑惑と変わってしまう。日本人である自分の母親と、今まで通じ合えていたのだろうか。父親とはどうか。友達は、本当に友達なのか。言葉が怖い。
「……オヤスミ、トシオ。」
 もう寝てしまおう。そう思った。
「……おやすみ………。」
 なかなか寝付けなかった。

 朝が来た。よく晴れた、気持ちのいい朝だ。一人の女性は朝御飯を食べ終ると、走って植野時計店に行く。
「おはようございます、おじさん、おばさん。」
 入り口を開け、その女性は舌足らずだが澄んだきれいな声でそう言う。
「おはよう早苗ちゃん、いつも元気ね。」
「おう。」
 返事が返ってくると、早苗は肩まである髪を揺らしてぺこりとおじぎをした。
「俊ちゃんはまだ寝てるんですか?」
 早苗がそう言いながら店の方から家の中をのぞく。俊男はそこで朝御飯を食べていて、むっとした。
「起きてるよ。」
「なんだ起きてたの、おはよ。」
 彼女は靴を脱ぐと、そのまま居間の方に上がった。すると俊男の隣にいた男がぺこりとおじぎをする。
「えーと、オハヨウございます。」
「あ、昨日のニュースの人ね。おはようございます。深山みやま早苗っていいます。」
 早苗は人なつっこい笑顔でそう言うと、ブランドンは照れた様に笑った。
「ボクはブランドン・ステイモスいうです。」
「いいます、だろ。それより早苗、情報早いな、どっからだ?」
「どっからって、もうかなり広まってるわよ。ニュースでも何か色々やってるし。」
 俊男はご飯をかき込み、ずっと味噌汁を吸った。そしてもごもごやりながら箸でテレビを差す。
「それは見てる。もう電話がうるさくってさ、電話線抜いてんだ。」
「ワイドショーとか来るんじゃない?」
 早苗がその瞳をくりっとさせ、俊男の方を見つめた。結局美談だったからいい。まだ実名での報道はされていないが、それも時間の問題だろう。
「ええと、すみません。」
 箸の代わりにフォークを使っていたブランドンは、フォークを動かすのをやめて俊男にそう言った。
「謝るなよ、泊まってけって言ったのはうちだ。関わりたくないなら昨日のうちに追い出してるって。」
「そうそう、利用出来るものは利用しなさい。」
 ブランドンに優しくする為ではなく、俊男をいじめるかの様に早苗は笑った。
「トシオ、トシオのガールフレンド?」
 ブランドンはきょとんとした感じでそう聞く。俊男は口に食べ物を含んだまま答えた。
「……まあ、ガールでフレンドだな。幼なじみ…昔からの友達だよ。」
「腐れ縁でもあるわね。」
 ブランドンの方を見て早苗は肩をすくめる素振りをする。ブランドンはフォークを口元に当てたままじっと早苗を見つめる。
「サナエさん、トシオにスキいう、ほしい?」
「えっ、好きって言って欲しいって……?」
 言葉をつなぎ合わせて推理し、多少とぎまぎしながら早苗が質問の意味を尋ねる。ブランドンはこっくりとうなずいた。
「ハイ。」
「おい、こらブァンドン!何考えてんだ!」
 俊男は顔を真っ赤にして焦った。だが早苗はそれからあまり顔色を変えず、ブランドンの質問に答えてやる。
「……えー……、言われたら、気持ち悪いわね。」
「そう……。」
 ブランドンは自分の思い通りの答えにならず、寂しそうな表情になる。ふと、俊男がブランドンに質問した。
「ブァンドン、お前これからどうするよ。」
「……わからない。」
 悲しそうな顔のまま、ブランドンは沈んでいく。だが俊男は容赦なく質問を続けた。
「爺さんに会うのか?」
「わからない!」
「お前さァ、言わなきゃ解らないって言ったろ、俺昨日考えたんだよ。確かにそうでもあるなって。言わなきゃ解らないし、会わなきゃ解らないんだぜ。」
 箸をきちんと置き、ブランドンを睨み付けて俊男が言う。
「でも……。」
「会わなきゃ絶対後悔する。」
 俊男はブランドンを脅す。その言葉はやけに確信めいていた。
「絶対する。一生する。」
「……………。」
 ブランドンはすっかり黙ってしまった。心の中で、自分の気持ちなど一つも知らないくせに、と俊男を恨む。だが俊男はひたすら言葉を続けた。早苗は、解らない話をただ見守るしかない。
「やらないで後悔するならさ、やって後悔した方がいいと思うぜ。」
 少し調子を変え、明るく、ブランドンを元気付ける様に俊男がそう言う。
「だから!……早苗、結婚しよう。」
「………は?」
 張りつめていた様な空気が一変した。ブランドンも、早苗もただ呆然としている。
「あはははははははははははは。」
「かっ、笑うな母ちゃん!」
 一番始めに空気を破ったのは母親の笑い声だった。続いて、早苗、ブランドンと笑いが広がった。
「おい、早苗もブァンドンも笑うな!」
 だが真っ赤になってそう否定している俊男を見ると、さらに笑いがこみ上げてくる。早苗などは酸欠になるんじゃないかと思うほど笑っている。
「笑うなっつってんだろ!」
 ブランドンは、何だか的外れだが俊男の気持ちが嬉しかった。涙が浮かんでくるのは、きっと笑いからではないだろう。
「いいわよ俊ちゃん、婚約指輪買ってね。」
 少し笑いが収まった早苗は、俊男ににっこりとほほえみながらそう言った。
「………ちっ……。」
 俊男は照れ隠しにか、ごしごしと鼻をこすった。
「トシオ。……トシオ、いいひと。」
「……そんなんじゃ、ねェよ。……きっと。」
 そう言ってその場がぼんやりとなごんだ時だった。
「ごめんください。」
 カラカラ、と店の戸が開き、しわがれた声が響いた。
「……ワイドショー?」
 早苗が様子をうかがう様にしてそう言う。
「……違うと思うけど……?」
「こちらに、ステイモス氏がいると聞いてやって来たもんですが……。」
 その声が居間の方まで聞こえてくると、俊男と早苗がブランドンの方を見つめる。
「おい、ブランドン君。お前さんにお客だ。」
「……ハイ。」
 何となく、お客の正体が解っていた。緊張する。ブランドンが店の方へと行くと、俊男と早苗は店の様子をうかがいにいった。
「……名前は、何というんだい?」
 頭のてっぺんがはげた、白髪、白髭の老人は震える声でブランドンにそう尋ねた。
「ブランドン、です。ボクはブランドン・ノブノリ・ステイモス。おかあさんはヒサエ、おとうさんはスティーヴ……。」
 息をのみ、ブランドンはゆっくりとそう言った。
「……ブランドン君………。」
 老人の声が震えた。目には沢山の涙を浮かべている。ブランドンは何かたまらなくなって、老人の肩をそっと支えてやる。そしてゆっくり目を閉じた。
「……おじいさん……。」
 ブランドンがそう言うと、老人の声は、それから言葉にはならなかった。




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