3・どうしようもないのは解っている。どうすればいいのか解らない。

「まー、フタゴちゃん。」
 しめる時はぐっとしめるけれど親しみやすい、よく人に好かれそうな保健医が、妙に間の抜けた声で双子の来訪に応えた。
「うん、具合悪いってー。まあやちゃん看てやってよ。」
「あんたに言われなくても看るわよー。お仕事だもの。」
 保健医がそう言いながらおいでをして二人を側に寄せる。
「いつもおんなじタイミングだよね。双子だからなのかなぁ?」
「こらこら、くつろぎだすんじゃないの。付き添いはとっととクラスに戻んなさい。」
 しっしっ、と保健医は長椅子に座って落ち着き始めた付き添い二人を追い出した。二人はちぇー、とか言いながらもきちんと失礼しましたーと言って出ていく。保健室の主はそういうところに細かい人だったからだ。
「おー、ようこそ双子ー。」
 枕を足元へ置いていつも反対に寝ている保健室の住人が、カーテンをめくって顔をのぞかせ、二人に声をかける。
「あんたは引っ込んでる。」
「ヤーもん、ヤーもーん。まあやちゃん一緒に寝てよぉ。そ・い・ねぇ〜。」
「で、どうした?双子。」
 何もなかったかの様に無視して保健医は二人に声をかける。だが二人はいつもの様に何も言えない。保健医は仮病に厳しく、嘘を見破る力であっさり追い返す様な人だ。だがその分、辛い人には優しい。身体だけではない、心の痛みにも彼女は察知してくれた。
「……ま、少し休んでいきなさい、布団敷くから。」
 そう言って保健医は両手で二人の頭をなでる。この学校にはベッドがなく、段になって畳がひいてある一角にそのつど布団を敷いた。保健医はてきぱきと寝床を準備すると仕切りのカーテンをシャッと引く。
「ちょくちょく来るけど、二人そろって体弱いの?」
「……いえ……。」
 保健室の住人に尋ねられ、筅はそれだけ答える。それ以上は言いたくなかった。
「ふん?…ならいいじゃん。動けるうちが花だよ〜。」
 どことなく、意味深だ。この先輩はいつでも明るいが、いつでも保健室にいる。保健医がここにいる事を許しているという事は、おそらく……。
「はいはい、もう黙って双子を休ませてあげなさい。」
 そう言って保健医は先輩のめくっていたカーテンを閉じさせた。そしてさりげなく二人にカイロを渡す。いつもの気づかいだ。二人は黙っているけれど、きっと色々気付いているのだろう。筅は一度、精通はしたかと聞かれた事もある。不安だったらきちんと病院に行きなさいともやんわり言われた。布団の中へともぐり込み、渡されたカイロをしばらく見つめ、どこにも出口のない思いをめぐらせる。ぺりっと封を開け、中の砂をもんでそっとお腹の上に当てる。そして深呼吸した。
 そしてしばらく間があって、隣からそっとさらさが声をかけてきた。
「……ごめん。」
「謝るのは……、僕だよ。」
 胸がきゅっと痛くなった。自分の存在がどれだけ彼女を傷付けるのだろう。言えない言葉が、言えない思いが伝わって、辛い。
「………じゃ、二人共謝るのはなしって事で。」
 そう言われると、痛かった筅の胸にぽっと明かりが灯る。自分に対して嫌な思いを抱いているのに、それなのに、それでもこんな言葉をかけてくれるなんて、……嬉しかった。
「……うん、お休み。」
「お休み。」
 お腹にカイロを当てていると中の動きが活発になるのか気持ちが悪くなる。けれど痛みは治まり、だんだんとまどろんできた。

「しつれーしまーす。」
「はいはい、何ー?」
 休み時間になって、まだステキな寝癖が取れない一人の男子生徒が入ってきた。
「いや、おみまいっス。」
「ああ、さっきのぞいたら双子ちゃん寝てたわよ。様子見るんなら起こさない様にね。弟君は真ん中、お姉ちゃんは左よ。」
 その男子生徒、春樹はかすかに驚いた様にさらさも?と尋ねると、保健医は妙に曖昧にそうねぇと答えた。そして春樹は休んでいる彼らの方へ行こうと後ろを振り向く。
「ぶっ!凄いつむじ!」
「……寝癖っス。」
 あわてて後ろを押さえるがもう遅い。自分でもすっかり忘れていた。うかつだった。ぼりぼりと頭をかきながら春樹は筅のいるらしい寝床へ、カーテンの隙間を作ってそっと入った。筅は布団を肩までかけて寝ている。起こそうか、起こすまいか、ぼんやり迷いながら春樹は額にかかった髪の毛を何となく払った。さらさと同じ、やわらかい猫毛。
「……ん……。」
 かすかに反応があると、春樹はあわてて手を引っ込めた。筅は身をよじり、眠りの縁からじわじわと起き上がってくる。
「……えと、悪ぃ、起きちゃったか?」
 筅がぼんやりと目を開けると、そこに誰かの顔がある。それが春樹の顔だと解ると心臓が勝手にどん、と音を立てた。
「……ううん、半分起きてた。」
 声を出すと緊張がゆるみ、じわっと顔が熱くなる。何だか額がくすぐったくて、手の甲を当てた。思わず顔をそらしたくなるが、見えない手でほほを固定された様で動けない。
「?…やっぱり具合悪かったんだな。」
 急に赤くなった顔と妙な態度で、春樹はそう納得する。まだ寝ぼけているのかもしれない。
「自覚しろよ、心配するだろ。」
 ちょっとむっとした感じに春樹は言う。あんまりにも真っ直ぐな、真剣な瞳に思わず目をそらしてしまい、筅はさらさの寝ている方を見た。
「……僕は平気だから、さらさの方見てあげたら?」
「え、でものぞいたら……まずいだろ、やっぱり。」
 そう言った春樹の言葉を半分聞かないで、筅は無遠慮に仕切のカーテンを開ける。
「さらさ…、春樹来たよ。」
「……ん。」
 さらさも筅と同じ様に体をゆらしてむにゃむにゃと起きる。そして春樹の存在に気付くと軽く息をのんで赤らんだ。
「……お前ら、やっぱり双子だよなー。」
 全くそっくりな態度に、春樹は妙に感心してつぶやく。
「当り前じゃない。」
 そう言いながら、さらさは目をそむけた。瞬間、つきん、と筅は胸が痛む。…罪悪感。
 それからさらさの友人も来て、先輩もまじって休み時間中、皆で他愛なくしゃべった。保健医はここを休憩所代わりにする事を嫌がっているが、さすがに休み時間中ばかりは大目に見てくれた。
 何て事ない、ただのおしゃべり。何気ない風に見えるけれど、春樹にしゃべりかけられるとさらさの表情がやわらかくなる。素直になる。いつも目の端で見ている。……誰も、気付かないのだろうか。さらさは春樹が、好きなのに。なのに春樹は気付かない。筅は誰にも気付かれない様、じっと春樹を見つめた。
 どうしてだろう。鈍いし、莫迦だし、頭悪いし、……どうして。
 どうして好きになってしまったんだろう。

「筅。」
 帰りのホームルームが終り、廊下で待っていたらしいさらさが窓を開けて筅を呼ぶ。
「……あんたんトコ、いっつも長いよね。」
「うん、先生来るの遅いし……。」
 何となく、そこで会話が終ってしまう。さらさは軽く口の中をもごもごさせると目線を下に向けた。
「寄るトコ…あるし。……今日、ゆっこと帰るわ。」
「あ、…うん。」
 筅が何となく曖昧に答えると、さらさはまた深く、別の所に顔を向ける。
「……やっぱこういう日は、顔見てるの、しんどい。」
「………ん。」
 じわりと、筅の心の中に寂しさが広がる。だけどこれは仕方のない事だ。適度に距離を保っていないとこれからもやっていけない。
「あれ?お前ら一緒に帰らねーの?」
 場の空気が解っていない、妙に間抜けた声が降ってくる。
「女の用事よ。」
「ふん?…何でもいいけど、まだ顔色悪いみたいだし早く帰れよ。」
 さらさの言葉に嫌味がまじっている事にも春樹は気付くはずがない。けれどさらさはそんな春樹に呆れる事はなく、真剣に気づかってくれる瞳に何だか笑ってしまった。
「……解ったわよ。」
 そして少し、誰にも気付かれる事ない、ほんの少しの間、さらさはそこにいて側にいるという思いをかみしめた。
「じゃ、また明日。」
「おう。」
 さらさは春樹が好きなんだから――、もっと何か、気の利いた事を言えよと、危なく口から出そうになる。筅がそうやってその短いセリフに物足りなさを感じていると、突然春樹は振り返ってきて思わずぎょっとした。
「お前も早く帰って寝た方がいいぜ。」
「う……、う、ん。」
 驚いた。うっかり変な返事をしてしまった。何ともいえない、苦い様な嬉しさ。自分がここにいた事を、彼は忘れないでいてくれた。そして気づかってくれた。
「一緒に帰るか?」
「……う…うん、一人で、適当に帰るから。」
 何ともあいまいに断ると、春樹も妙な顔をしてふーんとうなった。
「まあ、――んじゃなっ。」
「……じゃ。」
 それだけで嬉しい。同じ様に短いセリフなのに、自分の時は気付かない。ただ嬉しい。自分はよっぽど単純だと、筅は思う。

 帰宅に部活に、十五分もすれば辺りに人の気配はなくなる。少しだけ西に傾いている放課後の太陽は、空っぽの教室を照らすだけに、どことなく冷たくて寂しい。遠くから聞こえる野球部のかけ声とブラスバンドの練習音。浮かび上がるのは小さなほこりだけ。
「…………………。」
 筅は胸に残っている空気を全部出す様に息を吐いてみると、病的にふらふらと春樹の席に近付いて、座った。左から三番目、前から五番目の、どちらかというと窓際に近い春樹の席は、半分だけ日に当っていて微妙に暖かい。彼が授業中やるみたいに筅は机に突っ伏すと、だるさと薬の効き目もあって何となく眠たくなった。
 単純な自分。今朝具合を尋ねてくれた事も、―――それは自分があまりにも妙な態度をとったからだと解っている。保健室で、さらさより先に様子を見てくれたのも、―――異性の寝ている所を勝手にのぞけなかったからだと解っている。一緒に帰ろうと誘ってくれた事も全部……嬉しかった。それでも、嬉しかった。
 聞こえてくるのは自分の内側の心音。それにまじって、ふとタッ、タンと何か別のリズミカルな音が聞こえてきたが、それが何なのか、もう意識は遠かった。
 ガラッと、突然大きな音が教室中に響いて筅は跳ね起きる。そして真っ白になった。
「ささ、ら?」
 ―――春樹。あの遠くから近付いてきたリズムは彼の足音だったのだ。
「なん…帰ったんじゃ……。」
「……え、べ、弁当箱…忘れて……。」
 顔は春樹の方を向いたまま、筅は机の中をまさぐる。教科書達の一番上、こつんと、何か布に包まれた固い物に指が当った。平たくて大きな、春樹の弁当箱。
「………………。」
「………………。」
 そして沈黙。初めに動いたのは春樹だった。
「……筅。」
 何となく、手を伸ばす風にして筅に近付くと、筅は過敏に反応して席を立ち、椅子が倒れた。
「………………。」
 その一瞬、春樹は筅に近付くのをためらったが、また不意に、少しずつ近付いていく。筅は何というか、おびえた表情で、春樹に向き合ったままガタガタと席を崩して後ずさった。彼は窓際に追いつめられたが、春樹はまだそろそろと近付いてきて、何となく解る、これ以上は駄目だという境界線で止まった。―――長い。外からクラブの、おそらく女子テニス部であろうランニングの声援が聞こえてきた。
「…あの、さ……」
 また、先に動いたのは春樹だった。
「何で……。何…を……。俺の、席で………。」
 言葉はそこで終る。しばらくしてから最初は小さく、そして突然波が襲ってきたみたいにがたがたと激しく筅は震えた。いやいやするみたいに首を振り、なのに目は春樹から離さないまま、今度は横ばいに遠ざかろうとする。
 もう駄目だ。気付かれた。……知られてしまった。
 頭の中で一気に言葉が、感情があふれる。けれど筅本人はそれに追い付かなくて、苦しくて、もどかしい。目の前は真っ白なのに、春樹だけがやけにはっきり解る。胸が押しつぶされそうで、筅は痛いくらい拳を作った。
「……筅。」
―――僕が!」
 手を伸ばし、再び近付こうとした春樹をさえぎる。そして小さくまた僕が、と繰り返した。
「……僕がいけないんだ……。」
 筅はうなだれて涙をこぼし始めた。喉の奥でうう、と泣く。
「………僕が、さらさと同じ様に……。僕が、春樹を好きになったから……!」
 わっと涙を流してそれだけ言うと、筅は走って春樹を突き飛ばし、鞄をひったくって教室から出ていった。
 マネしないでよ!
 さらさの声が聞こえる。
 筅の変態っ! !
 さらさの声が、聞こえる。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。」
 ひぐひぐと、泣きじゃくりながら走ったが、息苦しさは気にならなかった。
「ごめ…なさいぃ……。」
 でもよかった。よかったはずだ。きっと気持ち悪がられた。嫌われたから。
 道の真ん中で、人目も気にせず叫びたかった。
 さらさ、さらさ、さらさ、さらさ、……さらさ……!
 春樹は、さらさと一緒になればいい。そうすればきっと自分も嬉しいはずだ。こんな思いは一瞬の事。たった今一時の事だ。
「さらさぁあ……。」
 春樹に嫌われたら、さらさは少しでも自分を好きになってくれるだろうか。
「さらさ…春樹……春樹……!さらさぁっ……!」

 どうしようもないのは解っている。どうすればいいのか解らない。



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