----ばらいろすみれいろ

 そこはまるで森の様だ。
 不規則に林立する、古くからまじないと関係深い樹木達。その梢が細道の上で手を伸ばし合い、裾をさりげない花々が彩る。自然体に作られ、よく手入れされた広い庭。ただ、薔薇の一画だけは白いテーブルがあり、椅子があり、人が手を加えたという印象の強い、園の様な趣があった。伯父の自慢の薔薇は、今どうなってしまったんだろう。
 子供の頃は、家族でよく伯父の所に遊びに行った。伯父が結婚する前は独り身を案じて、結婚後は祝福として、子供が生まれた後は新たな交流として。けれど、大人の相手が面白くないヴィヴィアンとジェファソは、行く度に少しずつ変わる広い庭に入り浸った。気に入った本や玩具を持ち、年若い叔母にお願いしてティーバスケットを用意してもらい、わざわざ森側から回ってテーブルに行く。知らない場所も危険もない探検は何度も行われた。
 ジェファソは血族にとって特別である金の目を、それも両目に持つ兄をうらやましくも、うとましくも思う様な頃だったが、親しい友人のいない彼に、彼らにそれは背伸びがいらない子供らしくあれるたまらない遊び。探検という呼び名が恥ずかしくなる時期に成長しても、幼い従妹のホルダが構ってくれとまとわり付くせいで二人には男同士という結束感があった。大体面倒を見てくれとお願いされても、十も離れた子供をどう扱っていいか解らない。この年頃の少年なら誰でもそうであろうが、ヴィヴィアンは金の目で、ジェファソはその兄のせいで人間関係は本当に薄弱なのだ。結託は、従妹を邪険にした結果でもあった。
 それでも別に彼女の事が嫌いでも憎くもない。指に柔らかい黒の巻き毛に、吊り上がった黒の純な目。離れたがらないわがままさも時には愛らしい。言う事を聞いてくれさえすれば天使みたいに可愛いし、ずっと側に置いておきたいくらいだ。けれど、そうでない事の方がずっと多い。
 三歳を過ぎたホルダはすっかりませて、女としてヴィヴィアンから離れない。一族の祖であるウルフベオルトの他には、現在ヴィヴィアンしか持っていない金の瞳。兄ばかり優遇され、注目され、期待され、そしてここでもだ。ジェファソは面白くなくて、遠ざけたい理由からではなく傷付けてやりたい気持ちでホルダに冷たく当った。
 そんなジェファソの気持ちを知ってか知らずか、それでもホルダは二人の後を追いかけた。いや、多分正確にはヴィヴィアンの後を。
「やだ!やーだ!」
「駄目だって言ってるでしょ!伯母様達の所にいなったら!」
「いくもん!いっしょにいくぅー!」
 駄目だ、と棘のある口調でジェファソが言い、それをヴィヴィアンがなだめる。なのでますますホルダはヴィヴィアンに懐き、ジェファソは不機嫌になる。
「だったら、ヴィヴィアンが相手をしてよ!僕は行くから!」
 踏み付ける様に、地面を蹴っていつものルートを行く。ヴィヴィアンはそんなジェファソをなだめる為、という視線でホルダを見て彼を追いかける。ずるいやり方だ。彼女を引き離すのは伯父に気付かれない場所で。それに泣かさない程度で。森に入って意地悪く急に角を曲がり続ければ大体彼女は途中であきらめる。置いて行かれたのが解って、せいぜい地団駄でもすればいい。ジェファソは兄が自分についてきた事に優越感を感じつつ、薔薇のアーチをくぐった。そしてテーブルで落ち合った兄弟は妙な気まずさから目を合わせ、目をそらす。
 自分は悪くないと思いたい。本を開いたが、目は文字を捕らえず滑り続けた。
「あっ…っ…!」
 小さな悲鳴。兄弟は反射的に立ち上がってその方向を見ると、ホルダの高く結われた髪が蔓薔薇に捕らえられていた。彼女の黒髪は逃れようとよじるとますます絡め取られていく。よりによって伯父が一番自慢にしている大きな蔓薔薇。
「ホルダ、じっとして。」
 ヴィヴィアンは薔薇に引っ張られない様にホルダの髪をつかみ、痛がらなくしてやる。彼女は悪い事をしたのだと思っているのか、単に不安なのか、小さく声を震わせて大きくした瞳を揺らす。
「動かないで。」
 体をもぞもぞと動かすホルダに、ヴィヴィアンはもう一度強く言う。癖の強いホルダの髪はすでに髪同士が絡んでしまっている。ほどいた先から絡まるみたいでだんだんとヴィヴィアンの神経がとがり始めた。痛がらない様に縛った髪の根元を握っているから右手だけではやりにくいし、薔薇の刺は彼の指にも向かってくる。薔薇の葉だって地味に痛い。
「…駄目だ。ジュニア、何か切る物…鋏、持ってきて。急いで!」
「わ、解った!」
 黙って見ていた弟に声をかけると、彼はやっと気付いたみたいにはっとして駆け出した。回り道せず、薔薇の庭から直接家の方へ。確かに勝手知ったる伯父の家だが、鋏の在処は思い付かずに頭を巡らせる。正直に事情を言うのはためらわれた。兄が鋏だけを指示して大人を呼んでこいと言わなかったのもそういう意図だろう。
 工具箱…ガレージ……!
 けれどガレージには鍵がかかっている事を思い出し、出した足を突っ張って体を反転させると家に向かう。
 キッチン鋏!
 リビングから入ると、ジェファソはキッチンへ飛び込んだ。荒っぽく引き出しをあさるとお目当ての物を握り込んでまた駆け出していく。それを、見逃される訳がない。
「ジェイ、どうしたの?」
「薔薇が!」
 焦りで低下した思考力は大人達には言わないでおこうと思った事を忘れさせていた。それだけ言い捨てるとジェファソは現場へと戻る。
「僕が髪を持ってるから。」
 切って、と言おうとしてヴィヴィアンは違和感を感じた。そんな鋏でたやすく切れるほど薔薇の蔓は細くない。けれどあんまりにもジェファソが当り前みたいな態度なので、かける言葉が遅れた。その次にはしゃきん、と軽い音がしてやわらかい黒髪がいくらか地面に落ちていた。
 引きつった声と共に大きな瞳が見開かれ、これまで耐えていた涙があふれ出してホルダは火が点いた様に泣き出す。それとほぼ同時にヴィヴィアンが弟の名を叫んだ。
「え?!……いっ…! !」
 驚いて手を引くと、薔薇の刺に食いつかれて肉を裂かれる。痛みを最小限にするには途中で引くのをやめればよかったのだが、ジェファソはその痛みから逃れる為とっさに腕を全部引き抜いてしまった。マッチで擦られた様な鋭く走る痛み。目の前がちかちかする。
「痛……いった……。」
 指先がぶるぶると震えて血の付いた鋏が落ちた。右腕の肘から手の甲にかけて、傷は血をあふれさせながらみるみる盛り上がった。その血を見たのだろうか、ホルダはいっそう声を上げて泣き出しいやいやをする。そんな彼女の絡まる髪の毛を何とか捕まえながらヴィヴィアンは叫んだ。
「ちょっと!じっと、してよ!」
 けれどこの声で収まるはずがない。うずくまる弟に、泣き叫ぶ従妹。途方に暮れた兄はそれからやってきた大人達を見て、助かったとさえ思ってしまった。が、叱られるのはまぬがれない。特に伯父には烈火の如く叱られて兄弟は罰を受ける事になる。目には目を。兄弟は思い切り頭を刈られた。
 今考えれば莫迦みたいだ。どちらも伯父の大切な薔薇。どちらだろうと傷付ければ間違いなく見付かって叱られただろうに、自分達で事を大きくしてしまったのだ。特に腕の傷。薔薇の汁が入ったらしく熱を持ち、かゆみも痛みも強くていじったせいもあるだろうけれど、かさぶたが取れるまで異常に遅かった。兄弟の髪の毛はそれよりも早く気にならないほどに伸びたが、ホルダの髪だけはそれからずっと、今も少年の様に短い。



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