----ばらいろすみれいろ

「それは弟さんが悪い。」
 フラワーレメディの本を渡しながら、きっぱりと兄は弟に言う。確かに自分が悪いのは解っているが、人から言われるとやりきれなくて反発もしたくなる。
「だって。」
「だっては聞かない。約束をしたのに内容が果たされない。これは重大な事だよ?弟さん。スペイン異端審問だってやってくる。唐突、恐怖、強迫…とかの三つだか四つだかの唯一を武器に。」
 兄の軽口に短いため息を吐く。色々思い出して落ち込んだりしてるのに、この上からかうか。四つ目の武器は何だったかとか、誰も期待しないとかいう言葉が瞬間的に思い出される。
「いい子だよ、ホルダは。」
「解ってる。」
「きっといい女になるね。」
 それもそう思っている。ホルダがもし他の誰かのものになったら悔しいし、きっと腹も立つ。
「だけど。」
「あの子は優しいから、なかった事にしてくれと言ったらその通りにしてくれると思うよ。」
「…そうじゃ、ない。」
 肯定をすれば突っかかるくせに、否定をしてやれば食い下がる弟に、ヴィヴィアンは頼まれたもう一冊を渡すふりして額を軽く叩く。
「悪いのは君だ。」
 煮え切らない態度をからかう調子で突けば不満顔なのに、ストレートに責めれば傷ついた顔をする。今度は兄が短くため息を吐いた。
「ホルダは、ほとんど兄妹だから……。」
 そう言って、ジェファソは言葉を句切る。だから、好きとも嫌いとも言い難くて、愛情を注ぐのも、けれどそれを断つのも否定したくなる。それは確かに本当だ。けれど正しくはない。ヴィヴィアンはそんなジェファソを見透かすみたいに見ていて、弟は観念したのかぽつりともらし始める。
「………自信がない。」
 言ってしまうと、寒気がしたみたいに心が震える。
「愛してる自信も、愛されてる自信も……。」
 約束は小さい頃に交わされた。大体があやふやで、それが義務感だとか使命感の様なものであっても不思議ではないし、それに彼女は、仕方ない、なってあげる、と言ったのだ。それまでホルダは兄の事が好きで追いかけていて、自分は彼女を酷く邪魔に扱ってきて、それがどうして。
 僕が、月を手に入れた事になったからか。
 疑問は疑惑でもある。
「別に深く考えなくても、気楽に楽しめばいいじゃない。あの子は胸も腰もししおきがいい。」
 品定めするみたいなねっとりとした笑みを浮かべた兄にジェファソは瞬間的に嫌悪した。
「…お兄さんのそういうところは好きじゃないし、僕には真似出来ない。」
 引ったくるみたいに本を受け取ると足を踏み鳴らしてジェファソは書斎を出る。も一つおまけにドアも荒っぽく閉めて。その様子を見ながらヴィヴィアンはやれやれと言った感で肩をすくめた。弟のそれは、これ以上この話を続けたくない理由でした、怒っているというポーズだ。それは互いに解っていて、互いに解っている事も解っている。三大欲求には明るい、特に性的欲求をタブー視しない一族だ。今まで、ジェファソはヴィヴィアンの女性関係を誉めはしないが非難はしなかったのに。
「……つまりさ、あの子がそういう対象にされるのが嫌だって事じゃないの?」
 残された部屋で独りごちても、誰も聞いてはいない。

 机の上には明日までにさらっておくつもりだったカルテがある。何故だかそれが腹立たしくて、こらえて、二冊の本を脇に置いた。その動作も結局荒っぽくなってしまって気持ちはますますささくれる。解っている。全部八つ当りで、解っているから腹が立つ。わざとらしい大げさなため息を吐いて、ジェファソは本をめくった。
「ハニーサックル……。」
 二度見て、指でなぞって確かめて。当り前だが書いてある内容は変わらない。ハニーサックルは楽しい、または辛い思い出に縛られている事を、チェストナットバッドは過ちを正せない事を癒す、とあった。自分はこれを彼女の前で言ったのだ。
「……どうして。」
 ホルダが怒る訳だ。ヴィヴィアンが呆れる訳だ。そんなつもりはなかったのに。チップがどういう意図であれ、失敗してしまえば悪意にしか感じられない。ジェファソの気持ちは怒りで再び大きくふくらみ、それから急激にしぼんだ。そんなつもりはなかった、のに。
 本が傷むと怒られそうだが、もう一冊のページを何度も繰って弄ぶ。うっとうしい字面が続いて読む気はしなかったが、ふと、彼女の言っていたまじないと同じものを見付けてページを開いた。指先が震える。
「……こんなの、本当に効くなんて思ってないだろうに……。」
 三色菫は惚れ薬。それでも、ホルダはジェファソが目を開けた時、嬉しそうに笑っていた。
「……ごめん。」
 知らず、ジェファソは目を閉じていた。どうしようもない。いつだって取り返しが付かない。



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