政常は大店の筑波屋の長男で、一人子でもあった。両親は彼に大層期待し、厳しくはしつけたものの、やはり甘やかし、自由にふるまわせた。おかげで彼は調子のいい、横着者というか要領のいいちゃっかり者になった。そして自由奔放な彼が、年頃になって熱心に進むのは色の道だ。だが気っぷのよく、切れ者の一面もある政常はそしられる事はなく、周りの者の憧れとなった。彼は妙に人望があり、うらやましがられるだけで妬まれる事はない。彼が派手な事をすれば、それは全て店の利益となった。彼は、恵まれていた。 もし、彼に一つ足りないものがあったとすれば、それは本気になれる何かだったろう。 彼は色々な事をやった。店の金を持ち出し、その辺の酒場に集まった者を連れて花街でどんちゃん騒ぎもやった。大名と遊女を取り争った事もある。だが長続きはしない。一人とずっと関係が続く事はない。彼にしてみれば毎夜相手が変わった方が楽しめると、新造買いを続けた事もある。思い通りにならない事など、なかった。 透き通る、外側だけの美しさ。初めてその少年を見た時、殴られた様な驚きを感じた。そこの場所に溶け込んでいるくせに、はっとする魔力を秘めていて、目立つ。どこかに目を向ければ風がその方向へ流れる。前に手を伸ばせば道が出来る。やわらかな腰の線。しなやかな身のこなし。だが整っている造作はひどく無機物的だ。 今まで泣いたり笑ったりしない者を見た事はある。確かその者は病気の母の薬代の為に身を売ったものの、その金を父がそっくり酒に変え、結果母を亡くし、父も酒で死んでしまったという女だった。男は嫌い、男は信用出来ないと言いながら、ずいぶんとしつこい¥翌セった。誰かにすがらなければやっていけない、とひたすら矛盾を重ね、心をなくしながらも求めてくるその様はずいぶん哀れではあった。だがその女とはそれだけだ。少年の、人形の様な顔。それ故か、どこかぱきりと壊れてしまいそうだという印象も受ける。守ってくれなければもろく崩れてしまうぞという様な、一種、脅迫めいた雰囲気を出していたが、本人は、無意識なのだろうか。他の者なら得体の知れない奴だと嫌悪するかもしれない。こんな奴もいるという事にしておくかもしれない。だが花月はそうしておけないから厄介だ。気になって仕方がない。放っておけないのだ。花月は笑う。悲しむ。怒る。だが決してそう≠オない。彼の内にあるものを追い求め、探すうちに夢中になり、気が付けば溺れていた。 願い、頼めば彼はどんな事でもした。どんな恥ずかしい事でも。だが決して内側を見せる事はない。彼に関しては絶対に思い通りになはらない。 彼は、相手が自分でなくとも同じだろう。自分に出来るのは、彼の体で自分を慰めるのみだ。 政常はまたしばらく来なくなる。理由は解らない。あれだけ色々言っておきながら新しい、他の者へと鞍替えをし始めているのかもしれない。自分を、彼の物にしたまま。ここでは、客がなじみ≠ゥら他の娼家へ行く場合にいる、こういう人がこちらに伺いますという遊女間の手紙の様な習慣はない。全く、 陰間、遊女といわず、他の者だったら体が多少つらくとも客を取っただろう。だが花月は金の為に売られた*ではなかった。色街にとどまる理由もない。離れようとすればいつでも離れられたのに……。なのに。自分でも解らない。しかし何故、と振り返ると思い出すだけで虫酸が走る、昔を思い出す。嘘をつくしかない。自分に。なんて事はないと平然を装うのだ。 流れに流されて、漂うだけだ。 そんな事を思いながら、それを意識してかの様にふらふら、ぶらぶら彼は、人の渦を歩いていた。 「また、お会い出来ましたね。」 辻を過ぎようとした時だった。本当にそれは突然で、花月は瞳を大きくする。 「?……ああ、いつかのお嬢さんじゃァないですかぃ。」 「へぇ、ご無沙汰しております。」 上方語の混じったやわらかな言葉で少女は言い、それから軽く会釈をした。花月は会釈を返しながら、染み渡る様に広がってゆく安心感に気付く。 「今日はお買い物か何かで?」 心からのやわらかいほほえみを向けてそう言う花月とは対照的に、少女は急に顔をくもらせて横を向く。 「ちょっと……。」 それから表情を放っておけない様なものに変え、花月の方を見た。 「ちょっと…お話、ええどすか?」 「どうかしたんですかぃ?」 厄介だな、と花月は眉をひそめたが、それは心配して言っている様に見えた。 「名前を教えて下さる約束、しましたよね。」 少女は話を聞いてくれるものだと思い、花月にとっては図々しい風に聞いてくる。花月はしばらく黙り、それから別に何て事ない様に答えた。 「……アタシは、花月で通っておりやす。」 「あたしは 嘉づ屋は奉公人も沢山いる名代の大店だ。何処かのお嬢様だとは思っていたが、想像以上の身元で花月は心で一線を置く。 「それで、お嬢さんがアタシに何の用で?」 「実は 辻占とは、その名の通り辻で占いをする事だ。 「それで、アタシに当ったと?」 「へぇ…、あたしは一体どうしたらいいんでしょう。」 少女は心配そうにそう言ったが、どうせ、この年の、ましてお嬢様の悩みなど大した事ではないだろう。ただこんな人通りの多い辻で話し込まれるのは、人目があってあまりよくない。 「もう少し、人通りの少ない所へ行きましょうか?」 軽く辺りを見回してから、親切そうに花月は言った。そして二人は外れの岡へとやってくる。そこは本当に人がいない。あるのは風と草と松だ。別にこんな遠くまで行かなくても構わなかったが、人のいない所というとこんな所しか思い付かなかった。 「あたし、お見合いの話がありまして、迷っているんです。」 茅はそう口を開く。所詮、こんな程度だ。花月は首をかしげてほほえんだ。 「……おめでたい話じゃないですかぃ?何を迷うんです。」 花月はそう言うが、茅は軽く首を振る素振りをして下を向く。 「筑波屋って知っとりますか?」 「筑波屋……って、あの、筑波屋ですかぃ?」 表では普通の驚きを装いながらも、花月の中の血がさっと引く。政常の来ない理由が解った気がした。茅は下を向いていた為花月の変化に気付かない。さらに深くこっくりとうなずいて返事をした。 「ええ、あすこの一人息子の……。」 「……あの遊び人の、どすか?」 そうだ、その通りだ。根は孝行者でいい息子の政常は、きっと両親に釘でも刺されたに違いない。確かに彼は身を固めるべき年齢に達している。 「そうです。」 「それさえなけりゃ、……ホントにいい話じゃないですかぃ。」 優しくにこりと笑みを浮かべて花月は言う。何を思っているのだろう。 「そう思ったはります?心から。」 茅に、見透かされる様な純粋な瞳を突き付けられ、花月の中のものがゆらぎ、そこに、さあっと影が降りた気がした。 「……どうか、したんどすか?」 花月はそう言う。ごくりと、息をのむ音が外にまで聞こえるみたいだ。茅はじっと、花月を見つめるのをやめなかった。 「あたしは、一目見た時から……。」 「お、あ…、およしなせぃ、アタシなんか……。」 戸惑ったのは、少女が自分の気持ちを見透かしていなかった事に、安心と恥ずかしさを感じたからだけではない。初めて、こんな風に素直に思いを伝えられた。これは仕事ではない。どうすればいいのか全く解らない。しかし茅は花月の戸惑いを別の意味でとらえ、熱心に自分の思いを訴え続ける。 「ずっと会いたくて、会いたくて……。用もないのに毎日外に出て、あたしは貴方の着ていた振り袖の柄さえ覚えていたのに……。」 「…………………。」 花月は黙って眉を寄せる。どういったらいいのだろう。花月は、そうだ。彼は恐ろしくなった。 「……お嬢さん……。」 この少女は何も知らない。本当に、全く、何もだ。自分が陰間だなんて、露ほども思っていないだろう。どことなく、ぎこちない上方語を使う事もあり、何となく本当の自分が出せる気がする。そして花月の男の部分が。何も知らないこの少女に、いたずらをしてやろうかと気がむずむずとわいてくる。不足しているものなど何一つない、大事にされて育ったこの茅に嫉妬をしていたのかもしれない。とにかく、めちゃくちゃに傷付けてやろうかともちらりと思う。だが、この少女は何も知らない。じっと見つめていると、茅は少し困った様ににこりとほほえんだ。その瞬間、花月の心が乱れる。彼は自分の暗い闇を恐れたのか、恥じたのか、それとも……。 ふと花月は辺りを見回し、きちんと人がいない事を確認する。そしてそっと茅の手を取り、じわりと握った。 それはあたたかく、やわらかくて、力強く抱きしめられるよりも包まれている気がした。その吐息さえ、優しくなれる気がした。 |
新造:自分の部屋を持たない下っ端の遊女の事。 一双の〜:美しい玉の様な肘は千人の枕になるという事。今日と昨日で相手が違う遊女の身の上をいう。 傾城に〜:(傾城とは城や国を傾け滅ぼすほどの美人という意味で、ここでは遊女の事。)遊女の言葉には本心がなく、信用出来ないという意味。 はやり子:売れっ子の陰間。 |