政常は見合いの話が出て身を固めなければならないのに、それからもちょくちょく花月の所へやってきた。どうやら当人達が都合が悪い、日にちが悪いとぐたぐた言い、見合いの日を延ばし延ばしにしているらしい。だが親同士が乗り気で、見合いを延ばす事は出来てもご破算には出来ない。大切に育てられている為、断る事が出来ないのだ。見合いをすればそのままトントン拍子で結婚へ至ってしまうだろう。もちろん政常はその話を花月にはしていないし、花月も聞かなかった。
 花月は、休みがちな仕事をさらに、そうそうに切り上げて一人の少女と会うようになっていた。少女の名前は茅。嘉づ屋の娘だ。一枚看板に載る様な身分であればまた別だが、今の花月ではもちろん身分違いであった。だがそれをとても気にし、二人の関係に熱心だったのは茅の方であった。
 外れの岡で背の高い草に埋もれながら、何もせず、ただ会話をする。花月にとっては初めて体験する関係だ。何を、どうしたらいいのか戸惑う事も、お嬢様な茅に対していら立ちを感じた時もあったが、一番、自分であった気がした。まあ、仕事ではないからそれは当然だろう。お嬢様という事で、彼女に遠慮する事はあった。しかし楽でいられた。おだやかに笑える。今までの自分の人生の数奇さが、何だか嘘の様だ。嘘の様に、静かだ。それで全てが帳消しになるという事はないが、満たされていた。
 茅は、そんな花月とすっかりいい仲になっているものだと思っていた。
「花月さん、やっぱりあたしお見合いやめたい。あたしが貴方に会う為に、貴方との関係を続けたい為に、ずるずる延ばしているんだけど……、向こうもその節があるの。きっと、相手がいるのよ。」
「………………。」
 花月は黙った。その相手が自分だと知ったら茅はどう思い、どうするのだろう。
「こんな風に、たまにしか…、人のいない所でしか会えないなんて、あたしは辛い……。」
「…………。」
 茅は前を向いたまま、花月は茅を見て黙ったままでいる。何かを言おうとしたが、花月の口からは何も出てこなかった。自分はどうしたいのだろう。自分で何かを選ぶなんて、今までそんな事はなかった。何も知らない、純粋な茅の側にいて本当の自分になれる気がしていた。それでずいぶん救われていた部分もある。だが、茅に対して本当に、本当は、一体どう思っていたのだろう。これは、どんな感情なのだろう。
 不意に茅の瞳がうるみ、花月はさらに戸惑う。
 素直に泣け、笑え、怒れる茅。そしてそれが出来ると演じる自分。何を思っているか、何を考えているか自分の中で解らなくなり、妙に狂いたくなった。そんな花月の方を、突然茅は振り向いて見た。
「花月さん、あたしは貴方と一緒になりたい……!返事を…、約束をして。」
 茅がそう言ったその瞬間、彼は政常のセリフを思い出した。
 お前は解らねェだろう。何の気なしに突然、好いた奴の…、少ゥし汗ばんだ首元に頭を埋めて匂いを胸一杯かぎたい。唇をつけてそのまま……、って、気持ちはよォ。
「……お嬢さん……!」
 美しい少女の髪。目の前が眩み、何も、解らなくなった。
 彼女を、唯一自分の好きに出来る相手だと見下していたのかもしれない。何をしても許されると。少し乱暴に唇を奪い、そして服の中に手を入れて、花月は張りのある小さなふくらみを包み込む。
「か、花月さ……!」
 少女は驚きかすかに怯え、花月から離れようとする。だが彼の事は愛しい。初めて知る恥ずかしく、何だかいやらしい感覚。このまま突き進んでみたいと思う純粋な好奇心。そしてたまらない羞恥心。そうやって茅が戸惑っている間にも花月は事を進めていく。
 不思議なものだ。男と女というものは。花月は今まで女と関係など持った事はないのに、自然とどうすればいいのか解る。いや、そもそも交わりというものがどういうものか解っているから出来るのか。何度も何度もお嬢さんとつぶやきながら、出来るだけ優しく彼女を扱う。
 花月は、初めて自分の意志で関係を結ぶ事となる。茅は、好奇心に負けたのか思うよりあっさり彼を受け入れた。経験もなく、何をするか解らなかった彼女はただ花月にしがみついている。まだ誰とも関係を結んでいない少女の肌は、しっとりとやわらかく、あたたかい。今まで相手をしてきた骨張った体とはずいぶん違う。花月は太股の間に、そしてその下に足をすべり込ませ、自らの膝と共に彼女の膝を立たせてやる。猫の様にすり寄り、ぴったり体を合わせて花月はまるで女の様にふるまった。だが相手は本当の、本物の女。やはり体のせいか、確かに男と女の感じ方は違う様だ。茅は花月の思うところ以外でも体をよじって嗚咽をもらす。一つ解ると感覚として次が解った。互いの体の隙間を埋める様に密着させて激しく揺り動かし、ねちこく少女を苛み続けた。
 小さな針でつつかれる様な全身で感じる破瓜の痛み。それを安堵と感じる暇すら、脱力感も解らない。
 もう茅は気持ちがいいのか悪いのか、苦しいのか楽なのか。全てを花月に任せてめちゃくちゃにされ、すでに彼女には、それらを受け入れる力はなかった。
 だがそれでも花月は手をやめる事はない。ただ、必死…だったのかもしれない。そんな、風に。目を閉じて少女と重なってくる過去の、自分。否定したくて、知らないふりして少女を犯し続けた。そしてその分傷付く。解っている。莫迦な繰り返し。その繰り返しをして生きている。生きているふりをして操られている。
 草が肌を刺し、石が肌を傷付けても構わなかった。風は少し冷たかったが、内側から深く熱くなる。汗の冷える間もなく、肌を寄せ合い、何度も熱を持った。その熱に、うなされ、侵されている様でもあった。
 そして。
 花月は茅の上にいるまま動かない。茅は彼が眠ってしまったのかと思い、自分の体を動かして花月を揺らしてみる。すると背中が草でちくちくするのが気になった。茅はそれから逃れようと起き上がろうとする。
「動かないで下さぃ。」
 寝ていたと思ったのに、背中に回されていた花月の手が力がこもる。熱っぽく耳元でささやかれ、茅は裸であったという事を思い出し、急に気恥ずかしくなってさらに動く。
「このままで、いて下さい……。」
 花月は力を込め、茅を抱きしめる。よく注意していないと気付けないが、かすかに息が、震えている。
「花月…さん……?」
 花月の様子が変だという事に茅は気付いた。どこか切実で、必死だ。
「放さ…ないで。」
 立場が何か逆だ。茅は妙にがっかりしたが、しばらくそうやっているとこんなのも悪くはない。こういう時こそ、女なのだろう。母性本能がどういうものだか解る。どこだかがくすぐったい。
 ふと、冷えた体にひとひらの花びらが降ってきた。何処から来たのだろう。それは桜だ。
「あ、背中に桜がかかりましたえ。……あたしは、咲く桜よりも散る桜の方が好きどす。冬は風花かざはな。秋は香り薫る金木犀きんもくせいなんか好きどすなぁ。」
 場をなごませる様にそう言った。実際茅は一人なごんでいた。関係の後のぐったりとした疲れに、かすかな眠気、それを癒す様な花月の体温。じわりと、体の全てに伝わってくる。だが花月はそんな事は何一つ思っていなかった。固く目を閉じ、じっと隠している心の恐怖に耐えていた。
 見付けて、アタシを。どうか、出口に導いて。

 その後、花月に罪の意識がなかった訳ではない。何故、こんな莫迦な事を続けたのだろう。一方で政常と関係を持ち、また一方で茅と関係を結ぶ。花月は後悔を自虐に変え、自分自身を抱きしめる様にしていた手を腕に食い込ませ、血が流れ出るほど爪を立て、えぐった。
 自分は嫌いだ。こんな醜い奴は他にいない。他に誰も。こんな酷い奴は他にはいない。恐ろしい。
 愛する事を演じながら、心の中で恨み、体だけはしっかり反応してしまう。憎い、自分。何度、愛していると語っただろう。幾度、体を重ね合わせただろう。理性。快楽。葛藤。崩壊。悪い事だと解っている分、嫌だと思っている分さらに辛い。離れたい。だが離れたくはない。誰かにすがりたくてたまらないのだ。守って欲しい。助けて欲しい。ここから、救って欲しい。信用出来る誰かが欲しい。たった一人でいい。心の奥底で、寂しい。それは簡単に、体の関係のみで生まれてくる何かとは違うはずだ。それが欲しい。激しい飢え。
 結局、どんなに愛をささやいても自分は、その愛がどんなものか知らない。愛する事も、愛される事も知らない。愛など知らない。自分が知らずにかそれを渇望しながらも、花月は愛を疑っていた。そんなものがこの世に存在するとは思っていないのだ。そんな事は、知らないのだ。彼が知っているのはどこをどうすれば反応するのか、体のみの事である。
 ただ自分は、自分の好きな人の婚約者≠たぶらかす事で、満たされていたのかもしれない。



一枚看板:芝居小屋の前に掲げられた大きな看板。そこには題名と、その一座を代表する主演俳優の舞台姿が描かれた。



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